花世姫

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ライセンスURI https://dc.lib.hiroshima-u.ac.jp/da/page/license1
所有機関等 広島大学
タイトル 花世姫
タイトルヨミ ハナヨノヒメ
著者 [作者未詳]
巻号
物理サイズ 2冊; 縦23cm× 横17cm; 挿絵: 上冊十一丁分
装丁 和装
写刊区分 写本
所在 広島大学図書館
コレクション 奈良絵本 室町時代物語
説明1 半紙本。料紙は鳥の子紙で、金泥で草花模様が描かれている。表紙は、鶯色の布地に水色と金色で、花と唐草の模様を織り出している。外題題簽は「花世姫上」「花世姫下」と墨書。内題は「はな世の姫上」「はな世の姫中」「花よの姫下」。内題と装丁から、元は上中下三巻であったものを二冊に改装したものと指摘される。
[あらすじ] 継母に疎まれて山に捨てられた花世姫が、山姥の助けを得て中納言の三男宰相と結ばれ、一族が繁栄する物語。[備考]14コマ目は他のコマと撮影環境が異なります 。
説明2 [解説]本書は継子物の代表作で、同趣向の作品に『鉢かづき』『うばかは』がある。いずれも観音の霊験を説くものである。全国的に分布する昔話の姥皮型と呼ばれる継子譚を素材にしてなったものである。『鉢かづき』『うばかは』に較べて全体に詞章の潤色が多く、分量が増えている。申し子、山姥の様相、鬼がなま臭いということ、父との再会などの場面等は、新たな趣向であり、増幅した記事である。山姥の描写は昔話のものとよく似る。姫君が身をやつして火焚きになる趣向も継子譚の定型であり、女性と竈神信仰の関わりや、欧米のシンデレラ物語が想起されることも既に指摘されている。主な伝本は無刊記絵入版本三冊(赤木文庫旧蔵)と奈良絵本二冊(広島大学蔵本・写本)がある。赤木文庫蔵本と同版の本は天理図書館、東洋文庫、東北大学付属図書館にある。広島大学蔵本は現存する唯一の写本である。
参考文献
【テキスト】1、『室町時代物語集』第三(果園文庫蔵刊本)/2、岩波文庫『お伽草子』(東北大学蔵刊本)/3、『室町時代物語大成』第十(赤木文庫蔵刊本)
【研究文献】1、徳田和夫 『お伽草子事典』(東京堂出版 平成14年)/2、『日本古典文学大辞典』 岩波書店/3、松本隆信「民間説話系の室町時代物語―「鉢かづき」「伊豆箱根の本地」他―」 (『斯道文庫論集』7 昭和44年10月)/4、岡田啓助 「『花世の姫』と民間伝承」(『日本文学』26巻2号 昭和52年2月)/5、稲井ひとみ 「『花世の姫』についての一考察」(『愛文』22号 昭和61年9月)
翻刻 [page 2] はな世の姫 上
それ人けんのあたなる事をおもふに、ういてんへんの世のならひとて、よきはおとろへ、又、あしきはさかふる事もあり。あるにもあらぬ世の中の、まつ、あらたまのはるくれは、たにのつらゝもうちとけて、花さくときはおもしろく、はなに心をうつしつゝ、あかしくらすもほとなくて、はるをへたつるうの花や、山ほとゝきすなきそめて、こすゑのせみもこゑたてゝ、あつさのまさるなつはたゝ、しみつのもとそゆかしくて、はやはつあき

[page 3] のかせのをと、まつにおとつれ、ひきかへて、月もくもゐにさやかなる、さかのゝかたの夕まくれ、きけはほとなくむしのねもかれくに、そらはしくれのかみな月、夜さむのころもうすけれは、ふしわひ人もあかしかねたる夜はなから、いのちはさすかすてかたさに、すくる月日ををくりつゝ、うき身一つをなけくかな。さる程に、するかの国にきこえたるふしのすそのゝほとちかき山さとに、ならひなきとく人おはします。これはわたの一もん、ふんこのかみもりたかとそきこえける。さる程に、さいほうたからにあきみちて、わひしき事はなけれとも、御子一人もなかりけり。ふうふの人々は、これをそなけき給ひける。四はうにくらをたてゝ、さいほうをつむといへとも、たれにかはゆつりをきて、あとのほたいをとはれんやと、ことのほかにそおほしめしける。されとも、たのもしき事には、ふうふとも、心しんくにして、ちひにもすくれたまひけり。ちふつたうに、しやうくはんおんをほそんとあかめまいらせて、かうをたき、花をつみ、あさ夕のかんきんにも、ねかはくはくわんせおん、なんしにても、によしにても、子と

[page 4] いふものを一人さつけたまへかし、あとのほたいをとはれ申へしとていのりたまへとも、そのしるしもなかりけり。あるとき、きたのかた、ゑんきやうたうして見給へは、にはのむめの木にすゝめといふことりか、こともをあひしあそひけり。これを御らんしてつくくとおもひたまひけるは、ちやうるい、つはさまても、かやうに子をもちてあひする事の、うら山しさよ。われらいかなるむくひにて、子といふものをもたさるらんとかきくとき、なみたをなかし給ひて、ちふつたうへまいりてふしおかみ、これをそなけき給ひける。そのしるしにや、その夜のやはんはかりの事なるに、きたの御かたの、夢をそ御らんしける。いつものことく、かんきんしたまへは、くわんおんの御まへより梅のはな一りん、きたの御かたのひさのうへにとひきたりけり。てにとり御らんしけれは、いろもにほひもたくひなく、さかりの花と見えにけり、いつくしく、めつらしく、うれしくて、みきのにもとへおさめたまふ。そのまゝ夢さめて、ふしきにありかたうおほしめして、そはにふし給ふもりたかとのを

[page 5] おとろかしまいらせたまひて、おほせけるは、いかにやきゝ給へ、たゝいま夢を見て候とて、いまのことくにかたり給へは、それこそめてたき御むさうなれ、はや、さては、われらなけき申事をあはれとおほしめして、こたねをさつけ給ひけるなり。みきのたもとにおさめたまふは、女子にてそさふらはめ、よしく、それはなにゝてもあれかし、ありかたや、めてたやと夢をあはせ給ひて、よろこひたまひけるこそことはりなれ。あくれは、ちふつたうへまいりたまひて、おなし心におかみたまふ。いよくたつとみ給ふ事かきりなし。さるほとにきたの御かた、此ころ御心にもおほへたまはぬ御心ちしてなやみ給ふ程に、はやく月のさはりもとまりて、くわいにんのすかたとそ見えたまひける。

[page 6] そのつきくの人々も、此ころは御子のなき事をのみ御なけき給ひしに、これはめてたき御事かなとてよろこふ事かきりなし。そのゝち、月日にせきもりすへされは、九月十月もほともなくたちけれは、御さんのひほたいらかにして、たまをのへたることくなる、ひめきみにてそおはします。とりあけまいらせ、ねかひ給ふ事なれは、御よろこひはかきりなし。しかるへき御めのと、かいしやくの人々まてもよきをすくり、つけたてまつり、そのうへたまと

[page 7] もてなしたまひて、ちゝはゝの御よろこひ、たとへてもあまりあり。かくて、とし月をおくり給ふほとに、ひめ君はや九つになり給ふ、はるのころよりもかりそめなから、はゝうへなやみかちにておはします。さては、めてたき御事もやと見たてまつれは、さはなくして、したい日々に御身もよはり、心ほそく見へたまへは、もりたかも御心くるしくおほしめして、いかゝはせんとかなしみたまひ、御いのりさまくなりけれとも、日かすつもるまゝによはりはて給ひ、もりたかとのをちかつけまいらせておほせけるは、此ほといろくに御いのりをはかけ給へとも、そのしるしもさらになかりけり。はや、此世のたのみも候はねは、われいかにも成候はゝ、御身はひとりのみすみ給ふへき事あらねは、たゝひめ君こそふひんに候へ、よくそたてゝ、いかならん人にもみせをきて、あとをもつかせたまふへし。これのみ心にかゝり候そやとのたまへは、もりたかもせんかたなけにそ見へ給ふ。又、ひめ君をひきよせまいらせたまひて、かみかきなてゝおほせけるは、あら、なこりおしのひめ

[page 8] きみや、われなからんのちは、ちゝよりほかはたれをたのむへきや、心おとなしく、人ににくまれたまふなよ。御身をもうくる事、花をたまはると見てあれは、そのなをもはなよのひめとつけしなり。花は一さかりの物なれは、心にかゝり、おもひしを身つからさきにたつ事こそ、なけきの中のよろこひなれ。ちゝの世をつき給へよ、めのとたちよくくあたりそたてへし。かへすくとのたまひて、おしかるへきよはひかな、卅三と申にはあしたの露とそきえたまひける。もりたかを

[page 9] [挿絵・第一図] はしめまいらせて、ひめきみの御なけき、たとへんかたもなし。おなしみちにともたへ、こかれたまへともかひそなき。さてあるへきにてあらされは、のへのけふりとなしまいらせ、御きやうやうはさまくなり、御なみたはさらにつきかたし。なけきなからも日かすをおくり給ふほとに、たい三ねんもうちすきて、ひめ君十一さいにそなり給ふ。としのくれにも成けれは、十もんの人々よりあいて、もりたかをすゝめまいらせて、いつまてひとりすみたまひても、きたの

[page 10] 御かたかへりたまはんにても候はす。めつらしき人をもかたらひて、心をもなくさみ給ふへしとて、たひくすゝめさせ給へとも、さらにきゝいれたまはねは、かくてもかなふへからす。ひめきみもさひしく、おはしまし候はん物をとて、さるへき人を申あはせたまひて、とくくとすゝめ給へは、さのみはそむきかたくして、もりたかもせひにおよひたまはすして、つらきなからそ見たまひける。しかれとも、もりたかとの、ひめきみに御心をそへまいらせて、あさ夕はきたの御かたのほたいをとはせ給ひて、きやうねんふつに心を入、いまの人の御かたへは、たちよらせたまふ事もなし。かくて日かすをおくり給ふほとに、はやひめ君十四になりたまひけり。おいたち給ふ程にいつくしく、御かたち、人にすくれて見え給ふ。

[page 12] [挿絵・第二図] ちゝ、此やうを御らんして、めのとをめしておほせけるはいかにきゝ給へ。ことしははや、ひめ君十四になるとおほえたり、いかなる人にも見せはやとおもふなり。これにつけても、はゝうへの御事こそおもはれけれ。たれとかといあはせへきとて、御そてをかほにあてゝ、さめくとなきたまふ。めのともおなし心にて、なみたをなかし申ける。此いへをつかせ給ふへき人は、たゝ一人にては、いかゝさふらふへきや、うはきみにおほせあはせ候はゝ、御一もんの中にもさるへき御かたな

[page 13] とおはしまし候はんかと申されけれは、とのも、又、さこそはおもひ候へとて、あるときもりたか殿、うしろみの磯辺さへもん忠冬をめしておほせけるは、明日はおもひたつ事ありて、にしかたのうはきみの御かたへまいるへし。その心へとおほせつけ給へは、かしこまりさふらふとて、御まへをたち、やかて、なかもち一さうこしらへて、いろくのさかなとりそへ、おひたゝしくそつみにける。さるほとに、つきの日にもなりぬれは、出たちたまひて、めのとあかし、御かいしやくに、しゝうとの、こてうのまひ、これ三人の人々は、よるひる、御身をはなれぬ、人なれは、御そはちかくめされておほせけるは、いかにかたくよ、ひめ君のせい人し給ふにつけて、申あはすへき事ありて、うはきみへまいるなり。二三日にてかへるへし。そのほと、ひめ君わひしめ申なよ、やかてかへるへしとて、ねん比におほせをきたまひて、出させ給ひける。ひめ君は此ころ一日とも、ちゝの御すかたを御らんせぬ事なけれは、何とやらん、御なこりおしくそおほしめし、御なみたくみ給ふそことはりなると、のちこそおもひしられ

[page 14] けれ。さて又、人おほしと申せとも、三人の人々の御事は、ひめ君、うまれさせ給ひしとき、御よろこひかきりなし。その折ふし、御ちゝのめのとをたつねいたし給ひ、めてたし、うれしやとておほせけるは、けんしをつたへきくにも、あかしのうへこそすへもはんしやうし給へ、めてたきまきにてさふらふなり。あかしのめのとゝよひたまへとて、つねはあかしとめしにけり。又、此こししうとのと申はとしもすこしおとなしく、心さま、かひくしくおはしまし候へはとて、御かいしやくにつけまいらせたまへはおろかならす。御めのとゝおなし心にてそたて給ひけり。又、こてうのまいと申はあかしのむすめなり、うはのかたにてそたてしを、五つのとしよりめしよせ給ひて、御ともたちとして御そはをはなるゝ事もなくて、ともなひあそひ給ふほとに、うちかたらひてそおはします。又、まゝはゝこせんおもひ給ひけるは、此まゝひめ君をおくならは、いよくとのは、われにうとくなりたまふへし。いかにもして、此るすにうしなははやとて、ぬしのめのとをちかつけて、此事をこそおほせけれ。めのと申ける

[page 15] は、それやすき御事にて候。みつからかいとこにもののふ候へは、たのみ候はゝ、かしこきものにて候ほとにかといいたし、まいらせて、いつくまてもおくり申候はゝ、なにかくるしく候へしとこそ申けれ。きたのかたよろこひたまひて、さらはたのみ給へとて、まつ三人の物ともをたはかりいたすへしとて、たくみ給ふそおそろしき。いかにもねん比にかたらひて、たまくとのゝ御るすにて候に、あすはこなたへいらせ給ひて、御あそひたまへなとゝおほせけれは、まことそと心へてよろこひ給ふそいたはしき、のちにそおもひしられたり。さる程に、つきのあしたになりけれは、まゝはゝこせんいかにもあきれたるふせいして、ひめ君、又、三人の人々をよひてのたまひけるは、申せはおこかましく候へとも申なり、こよひひめ君の身のうへに、ことのほかのあしき夢を見て候成。ひめ君をおもひ候はゝ、神やほとけにくわんをもかけたまへ、大かたの事ならは、かやうには申まし物をとおほせけれは、めのとうけたまはりて、むねうちさはき、まつなみたをそこほされけれ、とのゝ御るすにて候にいかゝと申

[page 16] せは、それはくるしからす候、みつから申さんまゝにしたまへ、けふはこなたへいれまいらせて、もてなし申へし、御心やすくおもひたまへとて、ひめ君の御かたさまの人々を、いろくおとしすかして、八人のねうはうたち、なかひ、はしたの物まてもみなうちつれて、心ならすそ出にける。[挿絵・第三図]

[page 18] わか身のめのとのいもうとを、あんないしやにとて、そへたまへは、わさと日をくらさんとて、こゝそかしこそとて、つれてゆくこそ物うけれ、そのゝちひめ君をねんころにもてなし、かしつきたまへとも、御心にもします、おもしろくもおほしめさす。むまれたまひしより、かたときもはなれたまはねは、めのと又三人の人々は、いつくまてかゆきつらんと、これのみ御心にかゝりけれは、うちしほれてそおはします。さて、うはきみの御かたには、もりたかとのゝ御出をよろ [挿絵・第四図]

[page 19] こひ、めつらしくおほしめして、つもる御物かたりありて、ひめ君おいたちたまひて、かたちいつくしく候へは、いかならんにも申あはせて、我か世をもゆつり候はんとおもふにつけてまいりて候なり。これにつけても、はゝうへの御事のみおもはれて候なりとて、たかひにそてをぬらし給ひけり。うはきみおほせには、此ほと人の申候し、これよりみなみにあたり、きやうの中なこんとのとて、めてたき人おはしますか、きんたちあまたもち給ふなかにも、三なんにあたり給ふは、十七八とやらんにて、

[page 20] いまたひとりおはします。みめかたち、けいのう、心さま、人にすくれさせ給ふよし申候つるほとに、これを申つたへ候はてとおもひつる折からにて、めてたく候なりとおほせけれは、とのはうれしくおもひ給ひて、それこそよく候はめとて御よろこひはかきりなし。さても御もてなしさまくにて、こゝの事はゆめくしりたまはす、これはうはきみにての事なり。又まゝはゝこせん、とかくうちまきらかし、けうさめかほにて物さゝやきなとして、ひめ君の御そはにさしよりおほせけるは、かやうの事申さんとすれは、いたましく、いはてもかなはぬ事なれは申なり。御身のちゝにはいかなるてんまか、いりかはりてやあるらん、此ほとはいつくにか、女はうもちてかよひ給ふときゝしか、きのふもうはきみへはゆきたまはすして、をんなのもとへゆき給ふなり。よさりはこれへつれてきたりたまふへし、御身のすみ給ふところにおき候て、ひめ君をはよそへやりておき申へきにさためたまふとて、御むかひの物まいりて候そとのたまへは、おもひわけたるかたもなくて、たゝなき給ふ

[page 21] はかりなり。やゝありておほせけるは、せめてめのとかかへり候はんまては、まちたまへとおほせけれは、それまては御むかひの物、やわかまち候まし。とく御たち候て、御つかひにあひて、とひたまへとそおほせける。せめてわかすみたるところをいま一とみんとて、たちかへり、いらせ給ひてめもくれ、心もきへはてゝ、ふしまろひてそなき給ふ。さりとも、ちゝの御心はかやうにはあるましき物をとはおもひ給へとも、はやく出させ給ひ候へ、御むかひの物せめ候とていさめたまひけれは、めのとかこひしさかきりなし。はゝうへのつねはてなれし御きやう、からにしきのはたのまもりにとて、こかねのつほ、しろかねの水いれ、まきゑのくし、ぬいものしたるこふくろに入て、
是も御かたみとて、そはをはなれすもちたまふ。これらは、いのちとともに身にそへてもつへしとおほしめし。なみたとともに、御たもとに入て出給ふ。御心の内こそいたはしけれ、こゑはし、たてたまふな、御そてをひきたてゝ、つまとのくちに、彼おとこ、いたりけるところへ、つれまいらせて、

[page 22] まゝはゝきみもともにたち出て、いかにくとそおほせける、かくおしへたまふ事なれは、ことの外にそ申ける。

[page 23] きたのかたおほせけるは、めのとかへり候はゝ、あとよりまいるへしとてなくさめ申、そこまてはこれ御とも申せとて、おとこにやくそくしたまへは、はたにはねりぬきのうすこそて、うへにはからこうはいにからおり物、かさねてきせまいらせて、ねもしうちかつきて出たまふ御ありさま、なみたにはむせひ給へとも、うつくしくこそ見へ給ふ。せひをもわきまへす、此おとこかきをひまいらせて、つまとより、からのみちにかゝりて、山のこしをはしりつゝ我かやとにつき、いかに女はうきゝ給へ、此ひめ君はとのゝふきやうをかうむりて、いつくへもすて申せとの御事なり。めしたるいしやう、はきとり候へと申ける。是をきゝたまひて、いかなる事やらん、我か身にはとかもなき物を夢かうつゝか、何事そ、せめて、めのとをつれてゆくならは、なにかは物を思ふへき、うらめしのうき世かなとて、きえ入たまふはかりなり。女はう、あまりのいたはしさに、御そはにたちよりて申けるは、さのみに御なけきさふらひそよ、御いのちたにあらは、すへはよろこひ給ふへし。

[page 24] いのちをまたうもつ、かめはほうらいにあふとこそ申つたへ候そや、此まゝにていしやうをもまいらせたく候へとも、あまのおとこか、あまりにしかり候程に、ぬかせたまへと申けれは、ひめ君おほせけるは、たといころすとも、はたのこそてをきせたまへ、しぬるまて、はちをあたへたまふへきか、たのむなりとてなきたまへは、あはれにて、さらは、まいらせ候へしと、うへには是をめし候へとわかきたる、あさのかたひらをぬきてきせ申、ゆらくとさけ給ふ、御くしをまきあけて、ゆひまいらせ、我かかみにかけたるてのこひにて、御かほをかくし申、さすか人めしけゝれは、すけかさといふ物をきせまいらせてけり。女はう、あまりのいたはしさに申けるは、おちつきたまはんところまても、御とも申たふ候へとも、人めをつゝむ御事なれは、おもふかひ候はすとて、そてをかほにおしあて、おとこに申けるは、かまへてく、御いのちたすけまいらせよ、のゝすへ山のおくにもすてまいらせ、かへりたまふへし。あらいたはしやと申せしは、なさけ一とそおほへける。ひめ君、夢とはかりにて、

[page 25] せんこもわきまへたまはねは、せひをものたまはす、おとこかきおいまいらせて、のくれ山くれ行ほとに人もかよはぬ、しんさんにわけ入、たにゝわけくたり、こたかきところにおろしまいらせ、申けるは、是よりもおくへはゆき給ふ共、あとへはし、かへり給ふなよ、此山のあなたには物のふかまちて候、かへりてみつからうらみ給ふなと申けれとも、物をもいかての給ふへき、たゝきえ入、ひれふしてこそいたまひけれ、おとこ心つよくもうちすてまいらせて、あとを見すこそかへりけれ。さて、すくにまいりけれは、きたのかた、つまとへ出給ひ、かのものにあひて、いかゝなしつらんととひ給へは、おとこ申けるは、これ山二つこえてうはかみねとて、人もかよはぬ山にて候、そのおくのたにゝすてゝまいり候なり。よさりははやこらうやかんのゑしきとなりたまふへし。あすまては御いのちは候ましきと申けれは、よくそとて、ひきて物してかへし給ふ。さて、めのとみなくうちつれ、かへりてみれは、ひそくとしてひめ君は見えたまはす、あやしくていかなる事やらんと申けれは、

[page 26] きたのかたなくまねをしておほせけるは、されはこそみつから申にたかはす、ひめ君ひるのころ、つまとへ出給ふとおもへは、うせたまふこそあさましさよ、あたりをたつね候へとも見えたまはすとおほせけれは、めのとも、みなくあきれはて、こはそもいかなる事やらん、なにしにけふは出つらん、うたてやとてすみ給ふところに入てみれとも、かいそなき。むまれ給ひしより、ふところをはなれ給ふ事もなく、此比は御そはをかたときもはなれまいらする事もなく、けふもさこそはまちたまふらんと、みちのほとさへ心くるしく、あしはやにかへりつるに、是はゆめかやうつゝかや、わか身はなにとなるへきやと、てんにあふき、ちにふして、なけきけるこそことはりなれ。又、うはきみの御かたには御もてなしさまくにてあくれは、御いとま申てかへり給ひけり。

[page 27] みちにてひきやくのものにゆきあひて、何事そやととふ給へは、きのふのひるほとにひめ君うせさせ給ふと申けれは、さらにまこととおほしめさす、こまをはやめて、行つきてさし入御らんすれは、ひめ君はおはしまさす。めのとをはしめとして、さんをみたしたることくにて、みなくなきふしてそゐたりける。ことのていをたつねたまへは、めのとはなみたをおさへ、きのふの事をそ申ける。又きたのかたはいてあひ、いつはりおほくひきつくろひてかたりつゝ、そら

[page 28] なきをこそしたまひけれ、かくてちゝの御心のうち、をしはかられてあはれなり。人の子のあまたある中に、みめかたちあしけれとも、わかれのみちはかなしきに、是はたゝ一人、みめかたち人にすくれ、いつくしくおはしませは、たくひなくいとおしくおほしめしつるに、こくうにうせたまひぬと、申せは、せんかたなく、かなしくて、はらをきらんと、おほしめせとも、さすかあとをもたれかとふへきとおもひ給ひて、心をとりなをし、たつね給ふなり。はうくゑてをわけて、ふちのすそのゝくさをわけ、山くの木のもと、くさのねをわけて、いたらぬところもなくたつねたまへとも、しかい成ともみつけて御めにかけはやとて、たつねけれとも、さらになかりけり。ちからなくして此よし申あけけれは、せんはうつきて、さらはあとのとふらひせよとて、御とふらひはかすくなり。さるにても、かきりあるいのちならは、せめてはめのまへにてとにもかくにもなるならは、かほとに物をはおもふましとて、なけきのいろはまさりけり。めのともやうく心つきて申けるは、ひの中、水のそこまてもともにいる

[page 29] ならは、これほとはうかるまし、うき身をもなけきなから物をおもはんより、みつのそこまてもたつねまいらせんなとゝて、もたへこかれ申けれは、よそのたもともしほれけり。こゝに御うしろみのいそへさゑもんの女はう、めのとのそてをひき、人なきかたへひきまはし、ひそかにかたり給ふやう、水のそこへ入給ふとも、いかてかあひまいらせ給ふへきそや。まつこゝにまさしきみこの候そや、これにあひて御いのちのあるかなきかをあきらかにきゝ給ひ、そのゝち、心をもさためさせおはしませ、身つからあんない申へし、人にもらし給ふなよ、しのひやかにそ申されける。さて、うれしくもとて、ひめ君のめしかへたる、御こそて一かさねもたせつゝ、人にはあまりおもふもくるしきに、ほとけへまいり、御ほたいの事を申へしとて、しのひいてゝ、御うしろみのやとへいり給ふ。心えてうちつれ、みこのかたへゆきて物をとふ、ぬしをよくあかしたまへと申せは、御としのほとをはしめとしてむまれ給ふ事、又御むさうの事、梅のはなをたまはりての御子なれは、花よのひめとつけ給ふ事、いろく

[page 30] かたり給ふなり。みこうけたまはりてうらふみ、あまたとりいたし、よくかんかへて申けるは、これはめてたき御うらにて、すへよろこひとみへさせたまふなり。まつ梅を御むさうに御らんし候事、めてたきすいさうにていてきさせ給ふ御子なり。梅のはなと申は、よのはなよりにほいをもつものなれは、よろつのはなにすくれて、人々のもちい給ふ花なり。ことさらちりてのち、みになりて、あたにもなさぬ事なれは、はんしやうとみへ候也。御いのちにさほひも候はす、いまは御心に物を思ひ給ふとも、みやうねんのはつはるよりも、御よろこひのはしめには正月の比なるへし。又御身は心つよくもちたまへ、そのはつあきのころはかならすおもふ人にあひてよろこひ給ふへし。その御ぬしはいまは心をもつくしもせす、くすのしたにうつもれてい給ふとも、はるかせのふきはらへは、うへのもくつはちりはてゝ、たまはしたよりあらはれて、ひかりのいつる心なり。はつあきのころまてはおとつれも候まし、たゝこゝろなかくまち給ふへし、したひちかい候まし、もし申ちかひ候はゝ、

[page 31] みやうわうのかたもすたるへし、御心やすくおほしめせと申けれは、うれしさかきりなし。さて、御こそてとりいたしていたしけれは、いやくこれはのちこそたまはらんと申て、かへしけれとも、のちは御ほうひあるへし。これは時の御ふせとていたしけれは、さらはとておさめけり。[挿絵・第五図]

[page 33] めのとはうれしくたのもしくおもひて、まつ、とののうちこもりて、いらせ給ふところへまいりて、御そはちかくさしより、此事をよくく御物かたり申けれは、すこしはるゝ心していたまへとも、さるとてもいつくにか、たとひいのちはありとても、いかなるつらさにあひてかあるやらんとふひんさよ。さても、これほとにゑんのなき子おはさつけ給ふかや、かほとに物をおもふらんと、なかくくわんおんをもうらみ申。もしもいのちなからへてあるならは、かはらぬすかたをいま一度みせてたまへとねんし給ひて、又まくらひきよせかたふき給へは、まとろみ給ふ御夢に、くわんおんの御まへにておかみ申給へは、御まへにたんさく一つあり、とりて御らんしけれは、うたなり。そのうたにたゝたのめ、はるはくるまの、わのうちに、めくりあふよの、みつはつきせしかやうにあり。めてたくもたのもしくもおもひたまひて、いよくしゆくくはんかけ給ふ。さらは、神ほとけへ申へしとて、こゝろをあはせ、かけ物りうくはんかすくなり。人めには御あとのとふ

[page 34] らひかとそおもひける。かくていまのきたの御かたへは、はしめはせめておりくの御をとつれにもたちより給ひしか、いまははやよろつすさましきはかりにて、かつて御めをさへ見やり給はねは、しゆつくわいのみにてくらし給ひけり。これはさてをきぬ。ひめ君は山にすてられ給ひて、そこともしらぬ、山中にたゝひとり、たれをかたよりとし給ふへき。はしめは、きへいり給ひしか、しはらくありていき出て御らんすれは、日ははやいりあひの事なれは、いつくのかたも見もわかす。比しも、なか月なかはの事なれは、山はきりふかく、かせもはけしくて、心ほそさかきりなし。いかなるつみのむくひにて、かゝるみにはなるやらん、うらめしのうき世かな、あらちゝ恋しや、此山にこらうやかんあるへし。ゑしきにならん、かなしさよとかきくらす心にておはします。心をしつめ給ひて、とてもしぬへき身なりとも、こらうやかんのゑしきにならすして、いのちをめしとりたまへ、はゝうへはわか身かくなる事をはしらせ給ひて候らめ、うらめしき身のはてかな、

[page 35] 此山のかみもあはれとおほしめし、我をたすけ給へ、とかなき身にてさふらふそやとて、一しゆうたをあそはしけり。ちはやふる神もあはれをかけたまへしらぬ山ちにまとふわか身をかやうによみ給ひて、又御きやうあそはして、なむや大し大ひのくわんせおん、ねかはくはわれをたすけ給ひて、いま一とこひしき人にあはせたまへとゑかうして、めを見あけ、あたりを見給へは、みねには月のかけさせとも、こゝはいまたくらかりけり。そこともしらぬ山中にたゝ一人おはします御心の内、おそろしさかきりなし。たにのかたを見やりたまへは、そこともしらぬ山中に、たきひのかけ見えけれは、何やらん、人すむところなれはこそ、たきひのかけはみゆらん、ゆきてたつねはやとおもひて、なくくたちたまひ、このひをたよりにて、ゆくゑもしらぬやまみちをわけくゝりて、たとりゆき給ふほとに、こさゝはらへ出たまへは、そてもすそもぬれしほれ、なみたも露もあらそひて、めもくれ、心もきゆるはかり成。ひの

[page 36] あるかたを御らんすれは、人のいゑにてはなくしてあなのやうなる、そのうちに人とも見えぬすかたにて、ひをたくやうに見えけるおそろしきありさまにて、身のけもよたち、きもたましいも身にそはす、されとも にくへきかたもなし、たちやすらひてそゐたまひける。[挿絵・第六図]

[page 38] いはやのうちよりおほれたるこゑにて、こゝにたちたるものは何ものそ、こちへきたれかしとそよははりける。ひめ君の御心、たとへんかたもなしとても、のかるへきことならねは、うちへいらんとおもひて、さし入見たまへは、かほはおしきのことく、めはくほく、たまはぬけ出て、くちはひろく、きはははなのわきにておへちかひたる。はなは、鳥のくちはしのやうにてさきはかり、ひたいにしはをたゝみあけ、かしらははちをいたゝきたるかことし。めもあてられす、おそろしさにたをれふしたまへは、此うは、つくつくとみて申けるは、是は人けんにてそあるらん、こゝヘよりてひにあたれ、むかし物かたりしてきかすへきそ、ぬれたらは、身をもほせかしといひけれは、なさけのことはにすこし心をとりなをし、ひのそはへ、おそろしなからたちより、ぬれたるすそをほし給ふ。

[page 40] [挿絵・第七図] はな世の姫中そのゝち、彼うは物かたりをこそはしめけれ、あらいたはしや、御身はくはほうの人なるか、おもひよらす、此やうにまよひいり給ふいたはしさよとて、なみたをはらくとそこほしける。おにのめからもなみたとは、かやうの事をや申つたへけん。うはかたりけるは、是きゝ給へ、此うははもとは人けんにてありけるか、あまりになかいきしてこともゝなく成てのち、まこひこにやしなはれ候へとも、われをにくみていへのうちへ

[page 41] もよせ候はねは、山をいゑとして、このみをひろひてゑしきとし、山にて日かすををくるほとに、あるときこのみねより、おとこきたりて、われにさいあいして、つねは、あのふしのたけよりもかよひしか、此いはやゑ、いなゝひてをきて、ひるはきたりてたきゝをおり、いはやのくちにつみをきて、よるは此うはかひをたきてあたり候なり。いまもほんふの心いてくれは、しひのこゝろ候なりとかたりけれは、さては、おにのかよふところときくからに、なをおそろしさはまさりけり。うは申けるは、このほとはあたまかかゆく候なり、むしをころし候へと申けれは、何事やらんときもをけし給へは、くろかねのひはしをつかひしか、いかにもあかくやきて、これにてむしをおさへ候へと申なり見たまへは、あたまのけは、あかきしやくまのことくにて、そのあいに、つのゝことくなるこふとも十四五ほとあり。それをまきてちいさきへひのやうなるむしともに、おしあてくし給へは、ころりくとおちにけり。うは、よろこひてひろひくひて、あらうまやとそ申ける。おそろしなから、此いはやに一夜をあかし

[page 42] 給ひけり。ほとなく夜もあくれは、うは申けるやうは、うれしくもあたまのむしをおとして給候物かな、御身はくわほうの人なれとも、人のにくみ候へはこそ、かやうには心をつくし給へ、つゐにはよき事あるへきなり。これへきたりて、うはにつかはれたるうれしさに、こふくろ一つとらすへし、わかおとこのゑん、さたまりてあらは、あけて見よとて、ちいさきふくろをまいらせけり。此ほと、物くはぬと見えたり、これはふし大ほさつの御まへのはなよねなり。これをふくすれは、廿日はものをくはねとも、身にはちからつくなりとて、三つふまいらせけり、くわしとはおほしめせとも、そむきかたくてくひ給ふ。そのゝち申けるは、いまかへしたく候へとも、つまのおにかきたるへし。あひたまはゝつかむへし。うはかかくし候へし、かくれ候へとて、いはやのおくのあなへをしいれけり。いきたる心はなくて、なみたにくれ給ひけり。かくておにかせあらくふきて、おにきたりて、いはやのうちをのそきけれは、めのひかりいなつまのことく、なまくさき事の候なりと申けれは、うはこたへける、此ほとたにへすてたりし、かうへのかなり。かせふきて

[page 43] にほふなりといへは、きしんにわうたうなしとかや、わらひてそかへりける。そのゝちあなよりとりいたしまいらせ、申けるは、そのまゝのすかたにてかへりたまはゝ、いかなるものもあやしめ候へし。たゝ、うはかぬきすてゝ、きぬをきせ申へし、なつはあまりあつさにぬき候なり。此うはきぬをきたまへ、あのみねをのほりこえ、みなみのかたより川のなかれ候へし、川のすそヘゆき給ふへからす。川かみへつきてゆくさき、けふりたち候はゝ、それへゆきたまはゝ、人さとへつき給ふへし。そこにて人のことはをかけ候はゝ、そこにとまり候へとて、山中まてをくり、みちをしへ申けれは、

[page 45] [挿絵・第八図] をしへのことくにあゆみ給ふ程に、まことにけふりたちけるを、さてはうれしや、人さとへつきける事のふしきさよ、おにのゑしきにならすして、ふしきのいのち、たすかりけるこそありかたけれ。ゆくゑもしらて、いかゝとはおもへとも、さてあるへきにてあらされは、たとりくとゆくほとに、はや人さとへそ出給ふ。けにおもひいたしたり、うはかおしへたる事のあり、しろ水のなかれにつきて、ゆくへしとて、たゝし行たまへ中なこんとのゝうらのこもんへつき、御らんすれは、むねかとにきはひて、さるへき人のゐなし

[page 46] かとこれにつけても、ちゝのすみ給ふいゑも、是にはおとるへきかと、うらめしのうき世かなと思ひつゝけて、あしをやすめてゐ給へは、女はう一人きたりて、つくくとみて申けるは、此うはこせはいつくよりきたり給ふそ、人のところへたちよりて、ひをもたき給ふへきやと申けれは、さやうのわさをしたる事は、なきものをとは、心のうちにおもひ給へとも、又いつくへもゆくへきかたもしりたまはねは、まつ、なみたをそてにおさへたまふ。此女はうは、しひの心ある人なれは、まつこなたへいらせたまへ、いたはしやとて、わかやとへつれ行ていたはり申て、その夜かたりけるは、是は中なこんとのと申て、めてたき御かたにておはします。わか身はその御うちにみやつかへ申候か、みつからかやくには、御てうすゆをわかし候か、あまりにひまなく候へは、此かまのひをたき候へかし、たのみたく候と申ける。ひめ君きゝ給ひ、ならはぬわさなりとも、いかてかいなといふへき、なさけある人なれは、たよりとおほしめし、御心にあふまての事しり候はねとも、たきて見候はんとおほせけり。さらは、うれしや、水をはつ

[page 47] き候へし。ひはかりたき候へ、いたはしや、いかなる人やらん、物よわけにみえ給ふうはこせかなとて、ねんころにあたり、御てうつかまのわきにねやをこしらへてをき申、あしたは夜もふかきにおき、かまのひをたき給ふこそいたはしけれ、されともおくふかく、人の出いりもなくて、ひたくはかりの事なれは、さしてくらうはなけれとも、ならはぬわさなれは、なみたはつきもせす。かくて、そのとしもうちくれ、はや、あらたまのはるにも程なくなりけれは、御いはゐはさまくなりと申、人々はきらめきわたりけれとも、ひめきみの御心のうち、われもかゝる身ならすは、さこそあらめとおもひつけ、人めしらすのなみたなり。けふははや正月十五日とて、御あそひはしまり、おもひくのたき物、ちんかう、とりくに二人のおやの御まへにて、四人きんたち、なみすへて、めいかう、御かうろ、とりちかへ、おもしろくおほへたり。御さかつきもまいり、御さかもりもすきて、わかきみたち御まへをたち、やかたくへかへりたまへとも、さいしやうとのは、何とやらん、物さひしくやおはしましけん、御ねや

[page 48] へもいらせたまはすして、やうてうふき、月をなかめ、はるの夜はおほろにておもしろきなとゝうちなかめ、たゝすみて、人しつまりてこゝもとをとをり給ふとて、見やり給へは、はるかのおくに、とほしひのあかりそかすかに見えにける。

[page 49] [挿絵・第九図]

[page 50] あやしやとおほしめして、あしをとをひそめて、しのひ見たまへは、そさうに何やらんひきまはしたる、そのうちにあふらひ、かすかにみゆる。なにやらんとおもひて、たちよりのそき御らんすれは、はやことなき女はう、としのほとは十四五とみえけるか、たけなるかみをまきゑのくしにてけつりゐ給ふ。かほはせいつくしさ、めもとけたかく、あいきやうこまやかに、ゑにかくともふてにはいかておよふへきか、いつくになんをつくへきや、たまをみかきたるにことならす。とてもうき世にすむならは、かやうの人になれてこそ、よのおもひてもあるへけれ、此やうなるところに、何としてかやうの人のあるらん、ふしきさよ、此まゝこゝにうちいりて、よく見はやとおほしめせとも、心をかへておもひ給ふ、いかさま人にてはよもあらし、われをたふらかさんとの、へんけの物にてそあるらめ。まつたちかへりて、あすのよは見あらかさんとおほしめせとも、さすかにむねふさかり、見すてかたくおもひ給ひて、たちかへらん心もなく、うしろかみのひくはかりにて、心つよくそかへり

[page 51] 給ふ。ねやに入たまへとも、そのおもかけの身にそふこゝちして、御めもあはせたまはす。此ころはいかほとの人を見つれとも、かほとの人は見さりけり。心にかゝる人もなし、かりそめに見しよりおもひはつへきやうもなし。たとへまゑんのものなりとも、一夜のなさけあるならは、いのちをすつるとも、くるしからすそとおもひたまふ。あけれはくるゝをまちくらしてそおはしける。ほとなくくれけれは、おもひわつらひたまひしか、御そはちかふめしつかひたまふ、まつわかまるをめされて、いかになんちにいふへき事あり、もらすへきかとおほせけり。かしこまつて申けるは、いかなる御事にてさふらふとも、きみのおほせ候事、何しにもらし申へきそやとて、いろくのかみをかけて申けれは、さてはいふへきなりとておほせけるは、よさりは人に申あはする事ありて、よそへゆくほとに、いつものことく、こゝにいてまつへしとおほせけれは、それは心へ申候、御とももなくてはいかゝと申せは、くるしからすとのたまひて、人しつまるをまち給ふ。人々はひるの

[page 52] くたひれに、ところくにころひふし、みなしつまりけれは、ひそかにしのひ出て、彼ところへ御いりありて御らんしけれは、あふらひ、かすかにして、こんていの御きやうに、すいしやうのしゆすとりそへて、くはんおんきやうをあそはし、そのゝち、大はほんよみたまひなむや、大し大ひのくはんせおん、此御きやうのくりきによつて、いきてましますちゝの御きたうとなり、いま一とかはらぬ御すかたをみへさせおはしませ、大はほんは、めいとにましますはゝうへの、此御きやうのくりきにより、しやうふつとくたつなり給へとゑかうしたまひて、そてをかほにおしあてゝ、一しゆつらね給ひけり。人しれすなみたのかゝるわかそてをほすひまもなきはるにあふかなとかやうによみたまひて、そはなるかきによりそいて、御めをふさきたまへは、わかきみ、よきおりそとおもひて、うちへしのひいりて、御そはへさしより給へは、むかし恋しきにほひのさつとしけるをふしきにおもひて、めをあき御

[page 53] らんすれは、やことなくいつくしき人おはします。こはいかにあさましやとあきれ給ひて、あふらひをうちしめしたまふ。わかきみ、おほせけるは、あまりにさはき給ひそよ、われは御身にゆかりあれはこそまいり候そやとて、なを御そはへよりそひて、なつかしけにしたまへは、ひめ君はいとゝ御はつかしく、おそろしくおほしめし、なみたをはらくとなかし給ひて、うちかたふきておはします。御すかた露をふくめるいとはきの、はるのあをやき、いとはへて、かせになひくかことくなり、ひきよせて、おるにおられぬふせいして、心ふかくそ見え給ふ。

[page 55] [挿絵・第十図] わかきみおほせけるは、何とおもひたまふとも、せんせのきゑんあれはこそ、おもひよらさる折ふしに、すきし夜の事なるに、かりそめなから、御身を見そめまいらせしより、心のおもひ、むねにみち、わするゝ事のあらされは、けふの日をまちくらし、よひより、こゝにたちしのひて、御きやうとくしゆし給ふも、よくくちやうもん申候也。ゑかうのことはまてもうけたまはりわけ候そや、よしある人の子にてそおはすらん。ことさらに御くちすさみおはします。ことのはくさのつゆまてうけたまはりわけさふら

[page 56] ふそや、我等御返か申へし、たとへ御そてはぬるゝとも、こなたよりほしてまいらすへしとて、かやうにあそはしけり。さのみたゝなみたにぬるゝ君かそてはるの日かけにほさゝらめやはとおほせけれとも、ひめきみははつかしけなるふせいして、物をもさらにのたまはす、なみたはかりそこほし給ひける。わかきみ御らんして、あら心ふかく見えたまふ物かな、こなたよりなのりてきかせ申なり、此いゑのあるしをは、たれとおほしめし候や、もとはみやこの人にておはします、大りきんちうのましはりなり。しかれともみやこにすみ、うき事ありて、いまは此国にゆかりあれはすみ給ふ。中なこんたゝふさと申なり、そのすへの子にさいしやうと申ものにて候なり。おにかみにても候はす、なひき給へとおほせけり。ひめ君あまりに人のことはをかへさぬも、むけなれはとおもひてそおほせける。それはさこそおはしまし候はん、みつからももとよりいやしき身にてさふらふなり。此ありさまを何として御らんしいたし給ふらん。御はつかしくこそ

[page 57] 候へ、もしも御わすれ候はすは、かさねては御たちより給ふとも、御かへりおはしませとて、なをうちしほれておはします。わかきみ御らんして、あらなにとおほせ候とも、かなひ候ましきなり。御心にまかせて、いつまて物をおもふへき、たゝくとのたまひて、御こそて一つぬきてしき物として、ともにそひふし給ひけり。ひめきみも、いはきならぬ御身とて、心のまゝにあらさる御事なれは、なさけにひかるゝならひとて、つよき心もよはりはて、おほせのなかとなり給ふ。わかきみのうれしさ、たとへんかたもなし。ちよを一夜にもとは、おほしめせとも、はるの夜のならひとて、あけやすく、とりのねもしきりにて、人めをつゝむ事なれは、きぬくのそてひきわけて、わかきみはかへり給へは、ひめきみは又かまのひをたき給ひける。あきのきたりて、てうつとりけれは、人はしらねとも、おもはゆく、かなしくて、ひをうちしめし、ひきこもりふし給ふ。あきの申やうは、いたはしや、うはこせんは、むねのこゝちにて候やらん、やうしやうしたまへ、よさりはみつからひをたき候はんとて、なさけ

[page 58] をかけてそ申ける。ひめ君、御心の内には、又こそ物をおもひけれ、あはれけに、おんなの身ほとうらめしきものはなし。おのこは一よのまくらをならへんとて、のちのよまてをちきるならひときゝつたへし物を、又、たちよりたまはん事もおほえす。かくて此事もれなは、いかなるうきめにあふへきそや、たゝふちせにも身を入はやとあんし給ふ。さてその日もくれけれは、又こそいらせたまひけれ、さてしも、四五日はへたてなくかよひ給ひ、のちの世まてとかたくそちきり給ひける。そののち、わか君おほしめしけるは、此まゝにてこゝもとへかよふならは、もしもや人にあやしめられてはあしかるへし。めのとのやとへいれまいらせて、心やすくかよふへしとおほしめし、文あそはして、彼まつわかにもたせてつかはし給ふ。御めのとうけとり、いたゝきひらきてよみけれは、おもひもよらぬかたに人をひろひ候なり。やとかし給へ、さやうに候はゝ、此夕かたにいさなひゆき候はん、返々とあそはしける。いかなる人やらん、これはおもひもよらすとて、まつわかにいかゝとゝへとも、つゆほともしらすと

[page 59] 申ける。たとへ又いかなるおほせなりともそむき申へきことならねは、返事したゝめまいらせ給ふ。きみ御らんしてよろこひ給ひて、くれけれは、かのところにいらせ給ひ、みつからかめのとに申あはせて候なり、いさゝせたまへ、心やすくとのたまへは、此うへはともかくもおほせのまゝとてそいてたち給ひける。彼うはきぬをはふかくつゝみ給ひて、これこそ身をはなさぬ物にて候とて、もち給へは、心へ候とて、わか君もち給ひて、御てをひき、まつすみ給ふおかたへ、入まいらせていてたち給ふ。わかきみのめしかへのこそて、いくらもありけれは、すくりてきせまいらせ、わかきみもこそてをかつきて、ねうはうのすかたにて、二人、うちつれ、まつわかにたちもたせ、さきにたて、御身はあとにいらせたまふそめてたき。

[page 61] [挿絵・第十一図]かくてめのとはひるよりも、むすめのちよいとかたりあはせて、此ほとわれをすませしところ、見くるしくは候へとも、なにかはくるしかるへきそ。なけしのちりはらひ、たゝみしきかへしつらひて、よにいりけれは、あふらひをたて、ないくまち、御むかひにいて、まちいたるおりふしにまつわか、あんないにまいりけれは、いてあひまいらせ、おくへしやうしいれまいらせ、むすめのちよい、御かいしやく申、さしきへなをしまいらせけり。そのゝち、めのともまいりけれは、わかきみ御きけんよけにおほせけるは、心つきなふ候へとも、まれ人の御入候へは

[page 62] たのむなり。ちよい、よくみやつかい候へとて、むつましけにそ見え給ふ。いかなる事やらん、御おやもしらせたまはぬ物をとおもへとも、よくく見たてまつれは、いつくしく、けたかく、ゑにかくともふてにもおよひかたくそおほえける。わかきみのおもひつき給ふもとかならすとそ思ひける。御さかつきまいらせ、せんしうはんせいとこそいはひ申けれ。そのゝちは、よなくかよひ給ひて、いよくたくひなくおほしめしけれは、いかてかおろかにあつかひ申へきや、ひめ君も御心やすくおほしめせとも、ちゝやめのとの恋しさはかり、御心にかゝり給ふなり。又とのにて、つきのあした、あきのはきたりてみれは、いまたかまのひもたかす、ふしきにおもひ、へやへいり、みれともみえたまはす、さて此うはは、いつくへかゆきつらん、ふひんさよと申けり。又、いひかいとる物の申けるは、此うはこせは、ふゆうち、あきのをみつかんために、ほとけのきたり給ふかや、人にてはよもあらし、こきにはめしのたゆる事なし、なかにちとつゝ、あなをあけけり、いつもしやうしんとて、うをゝもくはす、そうして、物をくふすかた、人の見たる事なし。こくうにうせける事、ふしきなれとてそ申

[page 63] ける。それこそとうりなれ、かねのつほにすこしめしの中を取て、御命をつき給ひしなり。それはさてをきぬ。有時わか君たち、御はゝうへの御まへにて、御さかもりのありしに、いつれもけいのうさまくつくし給ふ。中にも此さいしやう殿の御ふせい、すくれて見えさせ給へは、いとおしくおほしめして、いかなるみめよき人もかな、此君に心やすく見せまいらせはやとあんし給ふ。御心のうち人のおやのはかなき御慈悲。さて、又わか君は昼とても時々は御入あれとも、乳母のやとにありけれは、人の不審もなかりけり。ある時去方より、いつくしきむめのおりえた、わかきみへまいりけれは、これを見せまいらせはやとおほしめし、人めをつゝむ事なれは、心のまゝにあらすして、此むめをもりてうすやうにつゝみ、うへに一しゆあそはしける。恋しさをつゝみてそやる梅のはなにほひをとめよ君かたもとにかやうにあそはしけるをまつわかにもたせて、人めをしのひ、まいらせ給へは、ちよい取てひめ君へまいらせけれは、御らんしてはつかしけにてうちそはみて、御

[page 64] 座ちよいもおかみまいらせて、ありかたの御心や、此御返哥あそはし候へとて、御すゝり、りやうしとりそへて、はやくとせめまいらせけれは、そむきかたくおほしめし。御筆とりあけ、やうくあそはしけり。 梅の花もりて心のいろ香まて なをはつかしきはるのけふかなとあそはしをき給へは、ちよい取てひきむすひて、御返哥とて、まつわかにとらせけり、たちかへり、わかきみにまいらせけれは、うけとり御らん(54ウ)して、いつくしき御筆のあとたくひなくおほしめして、いよく御心にくさそまさりける。
資料番号 大国2502