たはら藤太

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License URI https://dc.lib.hiroshima-u.ac.jp/da/page/license1
Holder 広島大学
Title たはら藤太
Title pron. タワラトウタ
Author [作者未詳]
Vol./Num.
Physical size 1冊(全3冊)
Binding 和装
Printing 写本
Location 広島大学図書館
Collection 奈良絵本 室町時代物語
Description1 [あらすじ] 朱雀院の代、近江国の俵藤太秀郷は、女房に化けた大蛇の依頼でむかでを倒し、米の尽きることのない米俵を得て栄える。のちには下総で反乱を起こした平将門をも討伐し、一門は末永く繁栄した。
Description2 [解説] 武士を中心に描いた作品である、いわゆる武家物の一種。諸本は絵巻の形で伝わる古本系統と、絵入り刊本・絵巻・絵入り写本等の形で伝わる流布本系統とに大別される。流布本系統は、「古本系を増補改作して俵藤太を主人公とする物語としての体裁を整えたもの」で、その増補改作にあたっては「特に三井寺に関する記述が詳しくなっている点が注目される」(『中世王朝物語・御伽草子事典』)。広大本は奈良絵本3冊で、流布本系統に属する。
参考文献
【テキスト】1『室町時代物語大成』9/2新潮日本古典集成『御伽草子集』/3新日本古典文学大系『室町物語集』下 ほか多数。
【研究文献】1大島由起夫「お伽草子『俵藤太物語』の本文成立」(『伝承文学研究』31、昭和60年5月)/2荒木博之「伝承のダイナミズム―俵藤太伝説形成の周辺―」(説話伝承学84『説話と歴史』、昭和60年桜楓社)/3廣田収「俵藤太絵巻」(『体系物語文学史』4、平成元年有精堂)/4松田宣史「園城寺の鐘伝承」(『國學院雑誌』100-2、平成11年2月)
Reprinting [page 2]
たはら藤太 中
それよりちゝのもとにゆき、むらを朝臣にたいめんして此ほとのありさまはしめよりくはしくかたり給へは、父母ふしきの思ひをなし、なのめならすによろこひたまふ。それにつき、りうわうのひきて物にこかねつくりのつるきかねさねのよろひ、しやくとうのつりかねをたまはりたり。つるき、よろひはふしのてうほうなれは、

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まつ代しそんにさうてんすへし。かねは、ほんせんのかへ、せんもなし。三ほうへくやうすへし。されはなんとへやたてまつらん。ひゑいさんへや奉らんと申されけれは父の朝臣、此よしをきゝてけにもまことに一々のきたいてうほうなり。中にもかのつきかねを、しやうしやにきしんし奉り、たうらひのちくうをいのらんこそありかたけれ。しよふつほさつの御ないせういつれも一たいはうへん、といひなから、ことさら三井寺のほそんへ奉りたまへ。それをいかに、といふに、ひとつは当国なり。またかの寺のちんしゆ、しんら大明神と申は弓や神にてをはしませは、しそんのふけいをいのるヘし。扨またかの寺の御ほそん、はみろくさつたてをはします。此たひ

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のくとくによりて、五十六をく七千萬さい三ゑのあかつき、しそんの出世の御時けんふつもんほうのけちゑんとなるヘし。そのうへ、なんともほくれいもつきかねすてにしやうしゆせり。かの三井寺と申にいまにふせうのひゝきもなしすみやかにおもひたちたまへ、とありしかは、藤太いさひにうけたまはり、さらは三井てらへまいらすへしとて、をんしやう寺へつかはさる。千常三井寺へまいり時のちやうり大そう正にゑつしてくたんのおもむき申ける。

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そうしやうおほきによろこひ給ひて、寺中のしゆとたちをくわいかうし、せんきまち〳〵なり。そうしやう仰けるやうは、たう寺はからんさう〳〵ののち、大たんなはんしやうして、佛法さいちうのたうしやうなれは、ふせうのひゝきはこゝろにまかせてりうくうよりとりてかへりしかねなれは、てんかふさうのてうほう、まつたいのめいよなり。とかうのさたにをよ

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はす、ほうしやをうけ給ふへし、とありしかは、まんさの大しゆ一とうに、みなもつともとりやうしやうし、吉日をえらんて、かのつりかねをきしんしたまへ。すなはちくやうをなすへし、とて千常をはかへされける。藤太このよしうけたまはり、からさきのはまへゆき見れは、夜のまに、りうくうよりあけ給ふとおほしくて、くたんのつりかねをはします。これより三井寺へひきつけんにはあまたの人ふをもちたまはすは、たやすくひきつくまし、とあんしけるところに、明日くやうとあひさためしこよひ、うみよりちいさきへひきたりて、かのつりかねのりうすをくわへ大かうたうの大庭まていとやすく引つけて、かきけすやうにうせにける。そうしやう、大しゆたちもきいのおもひをなしたま

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へり。さるほとに、をんやう寺には、りうくうよりつりかねあかりつく、こんにちくやうしたまふよし、かねてしよ国にきこえしかは、近国は申にをよはす、をんこくのたうそくなん女、われをとらしとさんけいす。みやこよりは、ことにほとちかけれは、きせんらうにやくくんしゆしてけり。時のくはんはく大しん、くきやう女院、みやすところ、女御かうゐにいたるまて、さんゑのあかつき、しそんしゆつせのけちゑんのため、とおほしけれは、たうしやうにくるまをきしらかし、佛前にくひすをつきて五しやうのくもをはらし給ふ。すてにしこくにもなりしかは、すなはちくやうのきしきけんちうなり。たうしはとう寺のちやうり、大そう正しゆくはんは、てんたいさすとそきこえし。そのほか

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しよ寺のめいとく、せきかくす千人、ゑさにつらなりたまふ。たうし、かうさにあかしほつくわんのかねうちならしひてさとの朝臣、此せんこんにこたへて、こんしやうにては、むひのたのしみをきはめ、らいせにては上ほんれんたいにむまれないし七世の父母すみやかに三かひのくりんを出て、てんしやうのけらくをきはめ、ほうかいしゆしやうひやうとうりやくしゆつりしやうしとんせうほたいとゑかうのちやうもんかたくみなかんるいをそなかしける。

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ちやうもんのたうそく、をしなへてすいきのなんたをなかしけり。ありかたや、此かね、と申は、きをんしやうしやのむしやう、ゐんにひゝくなるしよきやうむしやう、せしやうめつほう、しやうめつめつい、しやくめついらくの四句の音をうつされたれはこれをきく人をしなへてむみやうちやうやのゆめをさまし、ほつしんほたいのきしにいたる。まことに

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まつたいふしきのきとくなり。そも〳〵たう寺さう〳〵のらんしやうをとふらへは、むかしにんわう三十九代、てんちてんわうの御とき、この水うみにちかき大津にみやこをうつし給ふ。爰にみかと御ゆめのつけましますにより、わうし大ともの大しに、みことのりしてさゝなみや志賀の花そのに、れいちをしめ、一のからんをこんりうし、丈六のみろくさつたをあんちせらる。そのなをしゆふく寺とかうす。そのゝちわう子大ともことにあふてかくれ給ひしかは、その御子よたのわうきみ、みかとへそうし申つゝ、かの寺をうつして、ちゝのかせきにつくりつゝ、をんしやう寺とあらため給ふ。此てらのかたはらに、せいけつなる岩井の水あり。此水をもつててんち、天むちとう三代の

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みかとの御うふゆにもちゆるゆへに、御井てらとも申なり。かくてせいさうをふる事やうやくニ百年になん〳〵たり。時にちせう大師と申てゆふとくせきかくのめい僧まします。此人はこうほう大師の御をいさんしうなかのこほりの住人いゑなりのちやくなんなり。ちくはの比よりもそのさう世人にすくれ、両の御まなこにをの〳〵人見ふたつそをはします。御とし十四にて都にいり給ふ。十五歳にてゑいさんにのほり、てんたいさすきしんくわしやうのもんていとしてかみをそり、三みつゆかのたうしやうの中に、一せうゑんとんのけうほうをきはめ給ふ。そのゝちにんしゆ三年の秋の比、くほうのために、につたうしたまふところに、あくふうにわかに吹きたつて、かい

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しやうの御ふねたちまちちにくつかへさんとせし時、大師舟はたにたち出て十方を一らいし、せいしやうをなし給へは、佛ほうこちのふとう明わう、こんしきのさうをけんし、ふねのへさきにたちたまふ。またしんら大明神まのあたりふねのともにけけんして、みつからかちをとりたまふ。これによつて御ふねつゝかなくみやうしうの津につきにけり。御さいたう六か年のそのあひた、こくせい寺のもつくわいかいけん寺のりやうしよ、しやうりう寺大とくこうせん寺のちけいりんかゝるめいとくかうそうにけんみつのあうきをまなひ、けんしをきはめたまひ天安二年にいたつて御きてうまし〳〵けり。かくて御ほうりうさかんにして、一てうのかうれい

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四かいのいらいとして、ほうそのこちをなし給ふほとにみかとよりみことのりしてをんしやう寺をたまはりけり。大師をんしやう寺に入せたまふ時一人のらうそうたちいてゝ、なのりていわく、われはこれけうたいくわしやうといふものなり。此寺にちうして大師をまつ事ニ白よさいといひをわつて四至のけんけいをさつけてこくうをさしてとひさりぬ。大師はきいのおもひをなし、此寺にしうちして、しんこんひみつのけうほうをおこなひたまふ。大かうたうは八けん四めん三ちう一きのほうたう、七けん四めんのあみたたう四そく一うのほうてんには山わうこんけん、くはんしやうす。たうほんの一さいきやう、七せんよくはんをはたうゐんにこめたまふ。そのほか、いまくまの御やし

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ろ御ほうせん神の御はいてんふけんたうしやうりうゐんそんしやうわうたう大ほうゐん四めんのくわいらう、十ニけんの五りんゐんすへてたうしやのかすは、六ひやく三十よふつのかすは、ニ千たい、しやう〳〵けんこのれい地なれは、大師此寺の井花の水をくんて、三ふくはんちやうのあかとして、しそん三ゑのあかつきをまち給ふゆへに、三井寺とは申とかや。かほとめてたきたうしやう、いかなることのしさいによつて、くわいろくにおよふそといへは、かの大師御にうめつまし〳〵てのち御もんとの大しゆ、かいたんこうりうのことを申おこなひしによつて、山もんの大しゆかうそをなし、にうわにんにくの衣をちやくししか、からさきにかけあふて、あるひはうたれ、くんて

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をち、たうしやうにちをあへししゆらのちまたとなす事は、ほうめつのもとひとあさましかりし事ともなり。さてもたはら藤太ひてさとは、しもつけのくにゝきよちうして、こく中をおさめしかは、そのいきほひきん国にふるいけり。かゝりけるところに、しもおさの国さうまのこほりにまさかとゝといふ人あり。此人は、くはんむてんわうの御すゑ、かつらはらのしんわうには四代のそん、ちんしゆふのしやうくんよしふさか子なり。せうへい五年ニ月、はくふひたちの大せうこつかをうつて、いきほいやうやく八しうをのみ、さうまのこほりいそはしをかきりて、わうしやうをかまへわか身みつからへいしんわうとかうし、百臣をめしつかふ。しやていみくりの三郎まさよりを、しもつけのかみ同次郎

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大あし原のまさひらを、かうつけのすけ同五郎まさためを、しもふさかみ同六郎まさたけをは、いつのかみたちみのつねあきらをは、ひたちのすけふちはらのはるみちをは、かつさのかみふち原のをきよこをは、あわのかみふんやのよしかぬをは、さかみの守にふにんせしむ。かくて大くんをもよほして、ていとへうつてのほり、日ほんこくのぬしとなるヘし、とてそのもよほしありけるを藤太ひてさとつく〳〵ときゝて、けにもまことに大かうのゆうしなるうへ、まうせいをなひけしたかへり。此人にとうしんし、日ほん国をはんふんつゝくわんれゐせはや、とおもひて、さうまのこほりにくたりけり。かしこにもつきしかは、やかたへ人をさしつかはし、しもつけの国のちう人、たはら

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藤太ひてさと、御れうの御めにかゝり申たき事侍てこれまてまいりて候、と申けれは、きんもんけいこのさふらひなにかし、此よしをまさかとに申上けり。をしふしまさかとは、かみをみたしけつりていたまひしか、いかゝおほしけん、とりあへす大わらはにて、しかもはくゑのまゝにて、ちうもんに出あひ、ひてさとにたいめんし給ふ。もとより藤太はめかしこき人なれは、此有さまを見とめて、はか〳〵しからすとおもふ所に、まさかとひてさとをもてなさんために、わうはんをかきすへてこれをすゝむ。まさかとのくい給ふ御れう、はかまの上にをちちりけるを、みつからはらひのこはれたり。藤太心中に思ふやう、是はひとへにいやしきたみのるまひなり。さてあまりきやうこつしこくなれは

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日ほんのあるしとならん事おもひもよらぬ事なるへし、としよたいめんにこゝろかはりし、申かたらふへきことはも出さす、うとみはてゝそかへりける。それよりも、ひてさとは、夜を日についてみやこにのほり、さんたい申て、そうもん申けるやうは、さうまの小次郎まさかとか、ほんきやくをくわたて、とう八かこくをわうりやうし、あまつさへくんせいをもよほし、わうしやうへうつてのほるヘし、とけつかうつかまつり侍るなり。すみやかについたうしをくたさるヘし。もし事くはんたいにをよはは、ゆゝしきてうかの御大事とまかりなり候へし。それにつき候ては、ひてさと身ふせうに候へとも、一はうの大将をもせんけせられ候はゝ、ともかくもはかりことをめくらしちうはつ仕るヘきよし、申けれは、みかと大きにをとろ

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かせ給ひて、公卿てん上人をめされ、此ことはいかゝあるへし、とのせんきまち〳〵なり。そのうへまさかとほんきやくの事、とうこくよりかさねてそうもん申けれは此うへは、ゆよすへからす。ひてさとは、とうこくのあんないをそんしたるものなれは、まつかれをうつてにさしくたされ、そのゝち大せいのうつてをつかはさるヘきかとありしかは、此きもつともしかるヘし、とてすなはち藤太をきんていにこんとけうそくついはつの事、しかしなから、なんちかはかりことをたのみ、おほしめすなり。いそきまかりくたりてよく〳〵てたてをめくらし、けきしんをちうはつし、君ゆたかに民やすからしめよ。くんかうはこうによるヘし。いかさましよくんせいをは、かさねてあとよりくたさるヘし。なんちはよを日につき

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いそきくたるへし、とおほせいたされける。

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藤太せんしをうけたまわり、弓やのめんほくなに事かこれにしかん、といさみをなして、たいしゆつす。さらはしこくをめくらさす、いそきくたるヘし、とてみやこをはまた夜をこめて、しら川やあはたくちをもうちすきてひのをかたうけにさしかゝれは、夜はほの〳〵と明にけり。四のみやかはらをよそに見て、せきの山ちにさしかゝり、三井寺にまいりつゝ、かうたうの御まへにかうへをかたふけ、なむやみろく大ほさつ此たひ、もしひてさとかかたきのためにうたるゝともたのみをかけし一ねんのくりきによりて、三あくたうにかへし給ふな、ときねんし、それよりしんら大明神の御前にまいりきみやうちやうらい大明神、ねかはくは藤太かはかりことに御ちからをそへられなんなくかたきをうちたいらけ、君もゆたかに民

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さかえ、こくとあんせん長久の御世となしたまへ。しからはわれらか一もん、なかくたうしやのうちことなつて、しやとうにかうへをかたふけ奉るヘし、とたんしんのまことをぬきんてゝ、しはらくいのり給へは、まことに神りよも御なふしゆまし〳〵、御風なふして、御まへのとちやうもゆらめき、さうにむかへるしゝ、こまいぬもうこくけしきに見えけれは、藤太ありかたくたうとくおほへてしんしんさいはいす。それよりも藤太はこまにむちをうつて、とうこくさしてくたりける。さるほとに、たいりにはくきやうせんきまし〳〵て、今度まさかとからんきやくにつゐて、佛神のをうこをたのますは、すみやかにせいひつすへからす、とて諸寺しよ山のせきとくに仰して、てうふくの法ををこなはせられ給ふへし、とてまつ、てんたいさす、ほつ

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しやうほうのあさり、そんいそう正はひえいさんにたんをかまへ、大いとくのほうをおこなはるゝ。こんこしのしやうさうきしよは、よ川にたんをかまへて、かうさんせのほうをおこなはる。こんほん中たうには、せきとくこんまをたき、みまさかのめいたつはしんくうしにたんをかまへて、四てんわうのほうをおこなわる。これみなちやうか、うけんのせきとくなれはきやうほう、いつれもしやうしゆして、朝てきめつはううたかひあらし、とたのもしくそおほえける。かくてとうこくのうつてには、源平りやう家のしそくの中に、ふんふ二たうのきりやうをえらんて、大しやうくんのせんしをくたされ、せつとをたまはるヘし、とてまつうちの民部卿、ふち原のたゝふんをめさる。またちんしゆの将くん、くにかゝちやく

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なん、上平太さたもり、ちゝかふようをつゐて、ことさら多勢のものなれは、ふく将くんにそめされける。それ将軍にせつとをたまはり、くわいとへをもむくには、さたまれるきしきの侍れはしゆしやう、なん殿にしゆつきよなる。くはんはく殿はをのゝてんに出させ給ふ。大臣は、九条殿そのほか大なこん、中なこん、八さ七弁しよし八しやう、かいにちんをはり、ちうきのせちゑをおこなはれ、せつとを出さるときに、大しやうくん、ふく将くん、いきをたゝしくしてさんたいし、れいきをなしてこれをたまはり、ゆはとのゝみなみの小もんよりゆらめひて出らるゝ。いかめしかりしありさまなり。時はすさく院の御宇、てんきやう三年正月十八日、みむまのこくのことなるに、こん日諸大将てうてきついはつのために

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とうこくはつかうせらるゝよし、きこえしかは、ちかきあたりは申にやをよふ、遠こくたこくのたうそくなん女上下、きゝおよふにしたかつて、袖をつらね、くひすをつゐて、われも〳〵とちまたにくんしゆす。都を此へいあんしやうへうつされてより此かた、いまた四かいのけきらうもなけれは、ふしは弓やをしらさるかことし。いまはしめて、かんくわをうこかすめつらしさに、馬物具、たち、かたなあたりもかゝやくはかりに出たちけれは、いつれもゆゝしきけんふつなり。ろしにすこしもさはりなけれは、おほくのなんしよをはせこえて、やう〳〵きさらきのはしめにはするかの国きよ見かせきに付にけり。こゝにして大しやうたゝふんは、しはらくやすらひ、ふしのせつけい、みほのいりうみ、たこの

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うらのてうはうを、けんふつしたまふ。をりふしきよ原のしけふちといへる者つくり、大将くんにて侍りしか、此うらのありさまをかんして、きよしうの火のかけはすさましうして、なみをやく、ゑきろのすゝのこゑ夜る山をすくる、とつくられけれは、大将もしそつも、かんるいをなかして、よろこひの袖をぬらし給ふ。こゝにふくしやうくん平のさたもりは、家の子らうしうをちかつけ、なんちらはなにとかおもふ。かくて大くんとおなしく、路しに日かすをふるならは、大しのせんにはあふへからす。ことさら此まさかとは、てうてきたるうへに、わか身のためにはおやのかたきなれは、しよにぬきんてゝ、せうふをけつせすしては、かなはぬきなり。かの藤太ははかりことかしこきものなるか

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せんちんにむかふたり。もしかれ一人のかうみやうとなしなは、われら弓やのかきんなるヘし。しかるときは、くゆともゑきあらし。いさやこゝをはせすきて、夜を日につきて、藤太かせいにくはゝらん、とのたまへはつはものともけにも此きもつともなり、と申てこまをはやめてうちけるほとにあしから、はこねのさかしき山路を、おほろ月夜に

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たと〳〵とこまにまかせていそきけり。
Number [配置場所]貴重資料室/[登録番号1]大国2797/[登録番号2]文理13327