教  科
時  期

繪入智慧の環 三編上 四編上

時期:学制実施以前(江戸~1872) | 教科:国語(地理(往来物), 旅, 観光などを含む)

1870年(明治3年)から1872年(明治5年)にかけて古川正雄によって著された日本最初の教科書のひとつであり,4編上下巻の全8冊から成る。内田楓山の書・八田小雲の絵によって作成されており,日本近代絵本の始まりとも位置づけられている。著者である古川正雄は慶應義塾初代塾長であり,福沢諭吉の弟子である。これらはFURUKAWAのローマ字が配された異装版として1873年(明治6年)に改正再版されており,本コレクションのうち第四編上はこの異装版となっている。同じく古川正雄によって著された『ちえのいとぐち』と並んで,「小学教則」において「綴字」の教科書として取り上げられている。

『繪入智慧の環』全8冊は次のような構成となっている。初編上:詞の巻,初編下:文法概説,二編上:万国尽の巻(世界地理),二編下:文法(母音子音・名詞)修身,三編上:大日本国尽の巻(日本地理),三編下:文法(代名詞・形容詞)窮理,四編上:名所の巻,四編下:文法(動詞)。江戸時代に寺子屋などで広く読まれていた教材を使用する一方で,外国の初等言語教科書の編集方針を採用するなど,新しい学校教育を切り開く糸口となることが意識されていたといわれる。「学制」に先行して作られた教科書のひとつであるが,こうした編集方針・幅広く統合的な内容から,後の「学制」にも強い影響を及ぼしたとされることで高い評価を受けている。

三編上「大日本国尽の巻」は木版刷りの日本地図とともに国名と主要都市がルビ付きで箇条書きのように並べられている。一方四編上「名所の巻」は冒頭で日本史の概要が記された後に日本全国の名所についての案内文が絵図とともに紹介される。四編はそれまでのものと異なり文章で記された「読み物」となっていることは興味深い特徴だといえよう。(解題執筆:中井 悠加)

参考文献

  • 府川源一郎. 明治初等国語教科書と子ども読み物に関する研究. ひつじ書房, 2014
  • 井上敏夫編. 国語教育史資料巻二教科書史. 東京法令, 1981

単語篇

時期:学制実施以前(江戸~1872) | 教科:国語(語彙(往来物), 文字, 国語など)

1872(明治5)年に文部省(現,文部科学省)において刊行された,わが国の最初の国語教科書である。三編三冊から成る。1873(明治6)年には,文部省より翻刻が許可され,1874(明治7)年の報告では,当時の36府県の内27府県で,合計523,000冊が翻刻されたとされる。

第一編の巻頭にはいろは図,五十音図,四種活用図が掲載されている。それに続いて日常生活に必要な単語が25項目に分類して列挙される。その内容は、数,方,形,色などのほか,生活上の数量単位,天文地理,住居人間関係,衣食,鉱動植物等の種目である。第二編も第一編とほぼ同様の分類であるが,第一編と比べると難しい単語が掲載される。第三編は第一編,第二編とは分類項目が異なり,「歴代帝号」「年号」「苗字」などの単語が列挙される。

「単語篇」の名称は欧米の学制に従ったものであるが、単語によって漢字を授けようとしている点や,日常生活に必要な常識を養成しようと意図している点では,江戸時代の往来物の系統を継いでいるということができる。(解題執筆:長岡 賢)

参考文献

  • 井上敏夫編. 国語教育史資料巻二教科書史. 東京法令, 1981
  • 府川源一郎. 明治初等国語教科書と子ども読み物に関する研究 リテラシー形成メディアの教科書文化史. ひつじ書房, 2014

小学入門 乙号

時期:検定制度実施以前(1873~1885) | 教科:国語(国語, 読本, 古文, 暗唱, 読み方, 書き取り)

明治7年8月,文部省刊行。

『小学校入門乙号』の内容は,「いろは圖」「五十音」「濁音」「次淸音」「數字」「算用數字の圖」「羅瑪數字の圖」「加算九九の圖」「乗算九九の圖」「單語圖(第一-第八)」「連語圖(第一-第十)」「線及度圖」「面及體圖」である。

『小学校入門乙号』は、構成,教材の示し方や扱い方に,次のような特色が見られる。まず,構成は,いろは図,五十音,濁音,次清音,…単語図,連語図…の順序で示されている。文字から単語,単語から連語へという指導の体系が考えられている。次に,教材が実物直観の方法によって示されている。単語図は単語の横にその文字があらわす実物を絵として示してある。さらに注目すべきは,初歩国語学習のための教材の扱い方を示していることである。連語図の第一には「神,人,天地,萬物,主宰…」などの単語が提出され,その後に「神は天地の主宰にして人は萬物の靈なり」と文語調でその短句が提出されている。これは,単語文字を教えた後にこの文字を組み合わせて単文を作る学習を求めていると考えられる。

『小学校入門乙号』の内容を概観すると欧米に習い,小学校で学習する各科目への入門教材にする編集方法となっている。しかしながら,本書には国語の読み書き学習に関する内容が多い。そのため,教科「国語」成立以前に,読み書きの入門期学習がどのような教材を手がかりになされてきたのか,ということを窺い知るための貴重な資料であると言うことができるだろう。(解題執筆:叶井 晴美)

参考文献

  • 井上敏夫編著. 国語教育史資料 第二巻 教科書史. 東京法令出版, 1981
  • 菊野雅之. 落合直文『中等国語読本』の編集経緯に関する基礎的研究―二冊の編纂趣意書と補修者森鴎外・萩野由之. 語学文学. 2015. Vol.54, pp.29-40.

小学読本 巻之一

時期:検定制度実施以前(1873~1885) | 教科:国語(国語, 読本, 古文, 暗唱, 読み方, 書き取り)

当時文部省(現,文部科学省)にいた田中義廉の翻訳編集によって,1873(明治6)年3月に刊行される。四巻四冊から成る『小学読本』の最初の巻である。『小学読本』は,初版本のほか,翌年8月に改正されたもの,さらにそれを那珂通高が校正したものの3種類の版がある。文部省が翻刻の許可を出したため全国的に普及し,1874(明治7)年の報告では406,000冊が翻刻されたとされる。

本書はアメリカの言語教科書であるウィルソンリーダーをほぼそのまま翻訳することで作られた教科書であり,改正版では不自然な直訳と一部の内容が改められる。巻頭教材には,ウィルソンリーダーには掲載されていない五人種の像が掲載されているが,それは文明開化を可視化させる格好の材料として,当時の様々な書物で見られたものである。またその図像に添えられた文は,当時ひろく暗記され,口ずさまれることになった。明治十年代末ごろまで,長い間使用されることになる。文部省から出されたもので,教科書らしい体裁を整えた初めての書である。(解題執筆:長岡 賢)

参考文献

  • 井上敏夫. 国語教育史資料 第二巻 教科書史. 東京法令出版, 1981
  • 府川源一郎. 明治初等国語教科書と子ども読み物に関する研究 リテラシー形成メディアの教科書文化史. ひつじ書房, 2014

小学読本 巻之一

時期:検定制度実施以前(1873~1885) | 教科:国語(国語, 読本, 古文, 暗唱, 読み方, 書き取り)

明治6年初版,首巻および五巻,文部省,明治7年5月改正,巻一~三 榊原芳野編次,巻四~五 那珂通高・稲垣千頴撰

首巻には国語学習入門期における発音と文字の指導を想定した、「伊呂波四十七音并濁音次清音」表が掲げられている。本書巻之一では、「家」などの学習者が日常触れることの多い事物の各部位の名称の呼び方について書かれ,巻之二では視野を広げて,宇宙や天体についての記述も見られる。また,巻之三は,「第一」として「稲の種類,三百餘品に至るといへども,糯と粳との早,中晩に由て,名を異にせるなり,水に種るを常とすれども,又圃に種るあり,これを早稲といふ」という記述に始まり,「糯(モチ)」「粳(ウルチ)」「早(ワセ)」「中晩(ナカオク)」「早稲(オカボ)」といった「稲の種類」をあらわす語彙が使われている。前半は「稲」に始まる植物について書かれ,後半では島国特有の動物,とりわけ魚類についての記載が少なくない。

『小学読本』全体としては,巻之四などに外国の伝記的物語も取り上げられているが,総じて従来の教材観によってつくられた古典的ないし伝統的性格のつよいものである。とりわけ,この巻之一には,子どもたちに身近な日用品や農具,植物・家禽等の説明があり,また巻之三には,日本の風土に根ざした事物が取り上げられていて,博物学的色彩が濃い。明治10年代には多く採用され,注解書なども数多く出版された。(解題執筆:山元 隆春)

参考文献

  • 井上敏夫. 国語教育史資料 第二巻 教科書史. 東京法令出版, 1981

小學女讀本 巻一

時期:検定制度実施以前(1873~1885) | 教科:国語(国語, 読本, 古文, 暗唱, 読み方, 書き取り)

1876年(明治9年)に,城谷謙によって著され,京都の村上勘兵衛によって出版された。「巻一」とあるが,それ以降の巻は確認されておらず,本讀本が刊行されたのはこの1巻のみであると思われる。著者の城谷謙についてはあまり詳らかにされていないが,作家・小林秀雄の母方の祖父にあたり,その編著書・訳書から,初等教育現場に携わって教科書・指導書を多く編んだ人物であることが明らかとなっている。一方村上勘兵衛は現在の平楽寺書店が創業から第11代まで代々掲げた名である。

『小學女讀本』は女性としての生き方指南書とでもいえよう。10章構成となっており,下記の通り整理できる。第一:女性として生まれた者の基本の心得,第二:父母舅姑夫への忠心,第三:家族に仕える女性の生活の在り方,第四:徳を全うすること,第五:外見の美よりも内面を修めることの美,第六:発言に気をつけること,第七:愚かな女にならないこと,第八:家〈内〉を守る女性の務め,第九:(一部破損)未来に備えること,第十:分相応の慎み・心構え。本文では明記されていないが,本讀本は「女は〈内〉,男は〈外〉」という性別役割分業論,また終戦まで日本に定着していた「良妻賢母」というイデオロギー形成の始まりと定位できる。「良妻賢母」の概念を国語教科書に初めて載せたといわれる『國語読本尋常小學校用』巻七「第五課 女子の務」よりも20年以上も早くにこの讀本が出版されていたことは非常に興味深い事実である。

教科書としては修身的な内容の読み物としての性格が強く,挿絵はあるもののルビもなく単語分かち書きにもなっていないため女児の小学生が読むには非常に高度である。なお,本コレクション所蔵の『小學女讀本』は,最終ページの奥付に「著者」という漢字および何らかのアルファベットを筆記体で練習した跡が残されている。ところどころ字をなぞった様子も見られ,明らかに当時誰かが使っていた様子が窺える。(解題執筆:中井 悠加)

参考文献

  • 井上敏夫編. 国語教育史資料第二巻教科書史. 東京法令, 1981
  • 伊藤義器. "坂の町の“未成年”". 昭和文学論考?マチとムラと?. 小田切進編. 八木書店, 1990
  • 小山静子. 良妻賢母という規範. 勁草書房, 1991

女子讀本 巻之五

時期:検定制度実施以前(1873~1885) | 教科:国語(家庭科・家政)

『女子讀本』は,明治18年出版の小学校高等科用の教科書である。明治18年は、「小学校令」発布前の学校体制であり,小学校は制度上初等科3年,中等科3年,高等科2年の8年制であった。中学校教則大綱では,中学校への入学資格が得られるのは,小学中等科卒業以上であるとされていたが,明治28年に高等女学校規定が整備された段階で,高等女学校に通う学生の年齢層が小学校高等科の年齢層と重複するという事態が起こっていたことに鑑みると,当時小学高等科が女子教育として重要な役割を担っていたことは指摘することができる。

明治期の女子教育では,一人前の女性として認められるのに必要な,婦徳(女として守らなければならない諸徳),婦言(女としての言葉づかい),婦容(女らしい身だしなみや立ち居振る舞い),婦功(女としての手わざ)を身につけた,いわゆる「良妻賢母」の育成が目指されていた。『女子讀本』には,「文の書き方」(巻之三・第十六課)など,現代の教科概念からすれば,国語として捉えられるものも含まれるが,内容は,極めて実用的で,日常生活に必要な諸般の知識,婦女の守るべき道徳等を,「読書」によって得させる目的で編纂されたものであるといえる。

『女子讀本巻之五』では,第三課「衣服の制」,第十四課「家道訓」,第二十課「貞婦の苦」などが見られる一方,第二九課「アイザック、ニュートン」などからは,欧化主義的な一面もみることができる。(解題執筆:太田 寛士)

参考文献

  • 井上敏夫. 国語教育史資料 第二巻教科書史. 東京法令出版, 1981
  • 倉沢剛. 小学校の歴史Ⅱ小学校政策の模索過程と確立過程. ジャパンライブラリービューロー日本放送出版協会,1965
  • 高野俊. 明治初期女児小学の研究―近代日本における女子教育の源流―. 大月書店,2002
  • 日本女子大学女子教育研究所. 明治の女子教育. 国土社,1967
  • 深谷昌志. 増補 良妻賢母主義の教育. 黎明書房,1966

和文読本 巻一

時期:検定制度実施以前(1873~1885) | 教科:国語(国語, 読本, 古文, 暗唱, 読み方, 書き取り)

明治15年12月初版出版,稲垣千頴編,普及舎刊,明治18年8月再版御届

発行以来,中学校教科書として広く使用された読本である。本書「緒言」には「天皇が詔書にも,假字を交へさせ給ひ,下は天ざかる鄙の蝦夷の賤の子をまでも,まずいろは,五十音,假字單語,などいふものより教へ導かせ給ひて,専ら御國語御國文を用ゐさせ給ふこととなりたる」等書かれていて,多くの人が漢字漢文を「不便」だと思いながら,なかなか「假字」(仮名)を公の場で用いることができなかったのだが、明治の御代になって,「詔書」の用字法から教育内容に至るまで「假字」(仮名)を中心にすることができるようになったという,そのことへの喜びがあらわされている。また,次のような記載もある。「軍記類,其の他,原は片假字してかけるも,今は皆平假字に書きかへて引きたり。さるは,片假字は何となくこちなくかたくるしきを,平假字はこよなくなだらかにて,なつかしきさましたればなり。又原は真字がちにかきなど,初學の輩の,ともすればよみ誤るべく見ゆる處は,多く假字を書き加へたり。見ん人,原書と字様の異なるをないぶかしみそ。」もともと漢字カタカナ交じり文であったものも,本書では漢字ひらがな交じり文にしてあり,ずいぶん読みやすくなっているので,軍記他の原本とはずいぶん違ったものになっているが,あくまでもそれは「初學」の者に親しみやすい読本をめざしたゆえであるという但し書きになっている。(解題執筆:山元 隆春)

参考文献

  • 井上敏夫. 国語教育史資料 第二巻 教科書史. 東京法令出版, 1981

日本読本 第五

時期:検定教科書期(1886~1902) | 教科:国語(国語, 読本, 古文, 暗唱, 読み方, 書き取り)

1887(明治20)年に,金港堂から出された国語読本である。金港堂は,外部委託の多かった当時の教科書編集にあって,独自の編集体制を確立した。本読本は,新保磐次によって編集され,「日本読本初歩」が第一・二の2冊,「日本読本」が第一から第六の6冊,合計8冊からなる。

「日本読本初歩」には,文字提出や表記に工夫が見られること,「ですます体」が登場するなど談話体を積極的に用いていること,会話文において口語表現やカギ括弧が使用されていることなど,従来の国語初歩教材の性格を受け継ぎながらも,随所に新しい工夫が見られる。

「日本読本」の内容については,第二からは理科的な教材,第四からは地理的教材が多くなり,第六には歴史的教材が多いことが指摘されている。また,教訓的なメッセージを持たない「笑い話」教材が多数載せられていることも指摘される。第五には,こうした「笑い話」として,「鼠ノ智」「雀ノ智」「猿ノ人真似」などの教材がある。

造本という点から,『日本読本』には,木版刷りで,金属の針で用紙を綴じ布地で本の背をくるんだ洋装製本風のものと,和綴じ形式で,活字印刷になっているものとがあると指摘されるが,本図書館の所蔵するのは,後者のものと思われる。

本読本の刊行後,1889 (明治22)年に「都市用」「群村用」の二種類の教科書が続いて作成された。1986(明治19)年の「小学校令」では通常4年の修業年限の尋常小学校に対し,3年で修了できる「簡易科」の設置が認められたが,『日本読本』の「都市用」「群村用」はこれらに対応したというものではなく,地域によって異なる需要に対応するものであった。(解題執筆:間瀬 茂夫)

参考文献

  • 府川源一郎. 明治初等国語教科書と子ども読み物に関する研究. ひつじ書房, 2014
  • 井上敏夫編. 国語教育史資料第二巻教科書史. 東京法令, 1981

新体読方書 巻一 上

時期:検定教科書期(1886~1902) | 教科:国語(国語, 読本, 古文, 暗唱, 読み方, 書き取り)

『新体読方書』は,塚原苔園による明治期の代表的な小学校の国語教科書の1つであり,全8冊からなっている。巻一から三までは、児童に身近な題材をもとに,文字を中心とした教材が配列されている。また,巻一から巻三にみられる叙述部では,対話体がとられていることも特徴である。表記では句読点がなく,文頭に大きく○印を付している。本書の表紙はSINTAITOKUHOSYOとローマ字書きされており、当時としては極めて斬新な外国風の装幀であるとされている。

巻一の上ではどの課においても絵が一枚あり,そこに描かれている動物や道具といった単語(へい○くら、など)や,それらを助詞でつないだ単語の組み合わせ(へいとくら、など)が平仮名で書かれている。また第八課からは,単語や単語の組み合わせに続き「ほしがでる」など,主語と述語を伴った単純な文がみられるようになる。教科書の後半では,平仮名の一覧、片仮名の一覧、数字(漢字表記)が配置されている。(解題執筆:村井 隆人)

参考文献

  • 井上敏夫編著. 国語教育史資料 第二巻 教科書史. 東京法令出版, 1981

中等国文読本 巻一

時期:検定教科書期(1886~1902) | 教科:国語(国語, 読本, 古文, 暗唱, 読み方, 書き取り)

『中等国文読本』は国文学者である落合直文によって編纂された中等読本の一つである。また,後に中学校国語科教科書のベストセラーとなる『中等国語読本』の前身である。『中等国語読本』は通巻10巻となっているが,第1学年では明治時代の文章,第2学年と第3学年は江戸時代の文章,そして第4学年以降は中古の文章が教材として配列されている。これらの教材は,いずれも読むことの教材や書くことの手本とすることを目的とされている。また,第3学年までは生徒にとって未知の知識を啓発することも狙いとされている。これらの教材は,必要に応じて落合が自身で教材を執筆している。

巻一の教材は「憲法發布」から始まっており,国家意識啓培の意図が窺える。また,学問の概説や入門的な教材として「學問」(堀秀成)や「まことの學問」(福沢諭吉)など当時の知識人の著書から採録されたものがみられる。このほかに,「將基の盤」(高崎正風)や「勸學」(落合直亮)といった詩教材や,「ぼあそなあど氏を送る詞」(井上毅)などの随筆的な教材もみられる。加えて,文語文に慣れるためか「海外の一知己」(『海舟翁談話筆記』)においては,口語訳が先だって示されそのあとに文語の本文が示されるといった工夫がみられる。(解題執筆:村井 隆人)

参考文献

  • 井上敏夫編著. 国語教育史資料 第二巻 教科書史. 東京法令出版, 1981
  • 菊野雅之. 落合直文『中等国語読本』の編集経緯に関する基礎的研究―二冊の編纂趣意書と補修者森鴎外・萩野由之. 語学文学. 2015. Vol.54, pp.29-40.

国語読本 高等小学校用 巻二

時期:検定教科書期(1886~1902) | 教科:国語(国語, 読本, 古文, 暗唱, 読み方, 書き取り)

1900(明治33)年に,作家の坪内雄蔵(坪内逍遙)によって編纂され,冨山房から出された国語読本である。冨山房は,この時期教科書の出版に新規参入した出版社で,文豪坪内雄蔵によって画期的な国語読本がいくつか編纂・出版された。坪内雄蔵は,尋常小学校用の『読本 尋常小学生徒使用書』巻一?巻八(明治32年),『国語読本 尋常小学校用』巻一?巻八(明治33年),高等小学校用の本書,『国語読本 高等科女子用』巻一?巻八(明治33年),中学校用の『訂正 中学新読本』巻一?巻八(明治41年),『新撰 国語読本』巻一?巻八(明治44年)に関わっているが,これらの読本の評価は極めて高い。

坪内は,編集に携わる前から国語教科書の編集に関心を持ち,欧米の読本を調査したり,国語読本を対象とした書評や演説の中で,理想の読本のあり方について主張を表明したりしていた。それは,文章の正確さだけでなく,平明さや読み手の興味を惹くような文章表現としての魅力を備えるべきというものであった。上に挙げた一連の読本は,そうした坪内の理想が現実化されたものととらえることができる。

坪内による読本は,上記のような経緯から全体的に「文学的」と評される。高等小学校用の本読本は,尋常小学校用に比べ文語文が中心となっているが,各巻に配された口語文による教材は,敬体から常体の口語に発展しており,内容も童話的内容から実話的内容になっている。

外国に関する教材を多く集めている点も共通した特徴であるが,そうした点では,尋常小学校用より高等小学校用の方にそうした特色が強く現れている。全巻では19教材が欧米由来の教材とされる。巻一に採録された「おしん物語」は,ペローによる「シンデレラ」を出典としたものである。

本読本の後の教科書に対する影響も大きい。外国に関する教材をはじめ,本書に掲載された教材は,この後の教科書にも多く採用されていて,1904(明治37)年からの国定の国語読本にも見られる。(解題執筆:間瀬 茂夫)

参考文献

  • 府川源一郎. 明治初等国語教科書と子ども読み物に関する研究. ひつじ書房, 2014
  • 井上敏夫編. 国語教育史資料巻二教科書史. 東京法令, 1981

女子国語読本 巻五

時期:検定教科書期(1886~1902) | 教科:国語(国語, 読本, 古文, 暗唱, 読み方, 書き取り)

『女子国語読本』は,明治35(1902)年3月に「改定再版」が検定合格して以来四半世紀以上にわたって使用され,大正14年(1925)までに19版の六訂まで版を重ねた明治後半を代表する高等女学校用の教科書である。「改定再版」の教材のほとんどは文語体であり口語体の使用は約一割にとどまる。

巻一冒頭の「例言」の編集方針には「当代の文士大家に嘱して起稿したるもの頗る多し」とあるが,男性知識人の作品を外として,安井てつ子「女子教育」(巻二),三輪田真佐子「家庭の紅蘭女子」(巻三)「楽しき家庭」(巻八),鳩山春子「婦人の三徳」(巻七)といった女性教育者の作品の積極的な採用が特徴的であり,彼女たちが作品で取り立てた理想の婦女のみならず,高等教育を受け指導的立場にある彼女たち自身も,ロールモデルとして意味づけられていることが言える。なお,最多採用は下田歌子の九作品で,「福引」「英国女塾の休暇」(巻一),「荻山直女」「牛乳配達夫の妻」(巻二),「雛遊嫁ごと」(巻三),「英国婦人の交際」(巻四),「泰西婦人の遊戯」(巻五),「香港」(巻六),「本邦の女徳」(巻九)を通し,大和心を重んじつつ西洋婦人なみの社交性と闊達さを備えた女性の育成が目指されている。

巻五,依田百川「孫子の書牘を読む」は夫に武勲をもたらす烈女「上毛野形名の妻」を称揚し,大和田建樹「兵士の妻」は夫の「戦死」を「ほまれ」と唄う。戦記「二十七八年の戦役」「平壌攻撃」を含め,日清戦争に材を得た教材の積極的な採用は,「国力」たる婦女の育成を期した当代の女子教育のねらいを反映したものと考えられる。(解題執筆:松岡 礼子)

参考文献

  • 井上敏夫編. 国語教育史資料巻二教科書史. 東京法令, 1981
  • 田坂文穂. 明治時代の国語科教育. 東洋館出版社, 1969
  • 橋本暢夫. 中等学校国語科教材史研究. 溪水社, 2002
  • 眞有澄香. 「読本」の研究:近代日本の女子教育. おうふう, 2005

中等国語読本 巻一

時期:検定教科書期(1886~1902) | 教科:国語(国語, 読本, 古文, 暗唱, 読み方, 書き取り)

『中等国語読本』は,国文学者である落合直文によって編纂された中等読本の一つであり,明治期においてロングセラーとなった著名な教科書である。落合読本と呼ばれることもあり複数の改訂が行われている。本書の前身となる教科書に同じく落合による『中等国文読本』があるが,「国文」から「国語」へと変わった理由として古典中心であった教科書を,同時期の教科書と同じように平均的なものとすることで現場の声に応えようとしたのではないかと推測されている。落合は本書の編纂方針を知識の啓発,徳性の涵養,読書力の養成,作文の修練の4つにまとめている。収められている教材は,このような編纂方針により社会の知識を広く扱い,学習者に一般教養を身につけさせることをねらいとしつつ,読むことの力を身につけることや,書くことの手本として利用されることが期待されている。

所収されている教材について落合は,当時の現代文には教材として採用することのできる文章が少なかったと述べ,多くは歴史的な教材を扱っている。また必要に応じて自身で教材を執筆している。

具体的な教材をみると,巻一の冒頭は「憲法發布」から始まっており国家意識啓培の意図が窺える。また,「勸學」(落合直亮)といった詩教材や,「ボアソナード氏を送る詞」(井上毅)などの随筆的な教材もみられる。このほかの複数の教材は,その前身である『中等国文読本』に採録されている教材と重なるものである。また,同時代の人物による教材を多く含んでおり,後に他の教科書においても同様の傾向がみられるようになった。(解題執筆:村井 隆人)

参考文献

  • 井上敏夫編著. 国語教育史資料 第二巻 教科書史. 東京法令出版, 1981
  • 菊野雅之. 落合直文『中等国語読本』の編集経緯に関する基礎的研究―二冊の編纂趣意書と補修者森鴎外・萩野由之. 語学文学. 2015. Vol.54, pp.29-40.
  • 田坂文穂. 「中等国語読本」の研究. 落合直文編. ハマ印刷, 1974

尋常小学読本 巻一

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:国語(国語, 読本, 古文, 暗唱, 読み方, 書き取り)

『尋常小学読本』は明治四十三年以降に使用されていた第一種尋常小学読本を基礎として,これに修正を加えたるものである。修正に際しては,高等学校師範学校及び各府県師範学校を始め,実地教授者等の意見所論を参考にし,時世の要求に合わせるよう努力された。「教科用図書調査委員会」が設置され,委員の芳賀矢一,乙竹岩造,三土忠造と補助高野辰之によって編纂された。

『尋常小学読本 巻一』は「ハタ」「タコ」の単語から文字指導に入る方法を踏襲していた。旧第一巻においては,五十音の濁音・半濁音全部を提出し終わっていないことに先だち,波行の転呼音及び促音「ツ」を混てえて教えていたが,修正読本においては,その全部を提出した。後に転呼音・促音に言及している。材料に関しては,文学的趣味の面を重視し,特に多くの著名な童話・昔話・神話・伝説・歴史物語などの文学教材・国民教材が多く採られており,国民道徳の育成を意図した教科書である。一方,海外に関する教材も多く集められ,啓蒙的読本の傾向は依然として継続している。(解題執筆:金琦 秀)

参考文献

  • 田近洵一・大熊徹・塚田泰彦編. 小学校国語科授業研究第四版. 教育出版, 2009
  • 井上敏夫. 国語教育史資料 第二巻教科書史. 東京法令出版, 1981

尋常小学国語読本 巻一

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:国語(国語, 読本, 古文, 暗唱, 読み方, 書き取り)

『尋常小学国語読本』は1918(大正7)年より使用された第三期国定教科書で,文部省(担当,八波則吉,高野辰之)により編纂された。表紙の色から「白読本」,また冒頭の単語から「ハナハト読本」とも呼ばれる。

『尋常小学国語読本』の全体的な特徴として,児童文や会話文の採用などによる綴り方,話し方への配慮,国語読本としての性格の重視などが挙げられる。この教科書と同時期に修正『尋常小学読本』が編纂されていたが,採択は「尋常小学国語読本」が圧倒的に多く,教科書史上の重要性が看取される。

また,巻一に関わる内容の特徴として,まずセンテンスメソッドの導入がある。入門段階において「ハナ ハト マメ マス ミノ カサ カラカサ」という七語のみを学習した後,直ちに「カラス ガ ヰマス。 スズメ ガ ヰマス。」という文の学習に転じることは,それまでの教科書では見られなかった特徴である。これは後に編纂される第四期国定教科書「サクラ読本」にも影響を与えたと言える。

さらに,児童を教材文の中心人物として登場させるなど,大正期に流れていた児童中心主義の思想が窺えることも特徴である。この思想は児童の読書意欲増進を目指し、巻一ではやくも「サルカニ」や「モモタラウ」といった長編教材が採用されているという特徴にも関連している。(解題執筆:池田 匡史)

参考文献

  • 井上敏夫編. 国語教育史資料第二巻教科書史. 東京法令出版, 1981
  • 吉田裕久. 「尋常小学国語読本」の研究(1). 愛媛大学教育学部紀要第Ⅰ部教育科学. 1982. Vol.28, pp.125-145.

小学国語読本 尋常科用 巻一

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:国語(国語, 読本, 古文, 暗唱, 読み方, 書き取り)

『小学国語読本 尋常科用』は,1932(昭和7)年より使用された第四期国定教科書で,文部省により編集された。「サクラ読本」とも呼ばれる。

本書は,多色刷挿絵入りという国語読本始まって以来の形態上の改新が行われた。表現・題材においては,実科読本を避け,文学読本であろうとした編集方針が実現された。具体的には,修身・地理・歴史・理科・実業等の知識や教訓の教材を避けて,文学的表現から材料を選び,表現の手法を文学化し,文学的表現によって知的陶冶,感情の醇化,国民精神の高揚を期している。

巻一の構成は、第一部「感性機能的表現……童謡の萌芽」,第二部「挨拶・対話・独話……児童生活」,第三部「叙述……童話」の三部構成となっている。巻二以降も,この三つの構成要素の原則に従い,全十二巻を通じ,児童の興味・心理・生活に重点を置いた構成がとられている。また,巻一の導入部では,綴字法や単語法によるこれまでの習慣を打破し,「サイタサイタ サクラガサイタ」というセンテンスの詩で始まる。そこから韻律的な反復語や興味のある童話等に発展して国語へ導入しようとした点は,本書の構成の特徴と捉えることができる。(解題執筆:野﨑 圭介)

参考文献

  • 井上敏夫編. 国語教育史資料第二巻教科書史. 東京法令出版, 1981

国語 巻一

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:国語(国語, 読本, 古文, 暗唱, 読み方, 書き取り)

『国語』は,昭和9年12月に初版が出版された昭和戦前期の中等国語教科書であり,一般に「岩波『国語』」と呼称される。主に西尾実(1889~1979年 国文学者、国語教育者)が編集にあたり,完成に三年の歳月が費やされた。出版翌年には岩波『国語』の採択校数が一位となった,昭和戦前期を代表する中等国語教科書である。

岩波『国語』には,作者名を伏せて,巻一の巻頭に「生きた言葉」,巻五の巻末に「ツェッペリン伯号を迎へて」,巻一〇の最後に「生涯稽古」という作品が据えられているが,これらは西尾実による書き下し教材である。巻頭において国語力の基礎としての道元の「愛語」を,中間において日本文化建設のための国民の奮起を,そして最後に世阿弥の「生涯稽古」の教えで一貫している。これらのことから,岩波『国語』は編者である西尾実の国語教育観を色濃く反映しているといえる。このように自らの作品を柱として,編纂者の意図を明確にした教科書は稀である。また,これに付随した教師用書も,各課に専門の一流の学者による主題・構想・叙述体系の解釈があり,本質的な教材研究がなされていたこともこの教科書が広く受け入れられた一因である。

その内容は,「国語的表現の種々相に触れさせる」という意図により,「教材を,生徒の心理・読書力の発達,季節との照応を考慮して配列する」という原理に基づいている。また,第一学年においては季節感・自然美を中心に国土愛・国家愛を主題として教材が編成されている。特に「一 生きた言葉」は,当時の中等国語教科書の文芸主義の行き過ぎを脱皮し,言語活動を重視する発展方向への提案とみることができる。(解題執筆:武田 裕司)

参考文献

  • 井上敏夫編著. 国語教育史資料第2巻教科書史. 東京法令出版, 1981
  • 余郷裕次. 中等国語教材史研究―岩波『国語』を中心に―. 国語科教育. 1985. 第32集, pp.104-113.

ヨミカタ一

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:国語(国語, 読本, 古文, 暗唱, 読み方, 書き取り)

『ヨミカタ一』は1941(昭和16)年,国民学校に移行すると同時に使用された第五期国定国語教科書,通称「アサヒ」読本である。戦争の拡大とともに,学童疎開という未曾有の事態に直面し,その学童たちに携行されて,右往左往しているうち,ついに1945(昭和20)年8月の敗戦によって消滅するという,従来の国定読本史上,最も短命な読本であった。教材の内容は,ほとんどすべて軍国主義的,国家主義的なもので占められている。

従来の「読本」という名称が,「ヨミカタ」に変わったのは,それまでの国語科が文字言語の指導に偏し,音声言語の指導を軽視していた傾向を是正しようとしてである。本書には対話教材,劇教材が多く挿入されており,特に第1ページに絵のみをかかげ,文字を提出していないことも,まず音声言語の訓練から入ろうとする意図にもとづくものであって,戦後,主として絵を用いて児童の学習経験を組織しようとしたプレプリマ教科書を先取りしているかたちである。

尚,『ヨミカタ一』は1986(昭和61)年,大空社より『国民学校国語読本』として復刻,刊行されている。(解題執筆:西村 尚久)

参考文献

  • 井上敏夫. 国語教育史資料第二巻教科書史. 東京法令出版, 1981
  • 吉田裕久. 戦後初期国語教科書史研究―墨ぬり・暫定・国定・検定―. 風間書房, 2001

世界国尽

時期:学制実施以前(江戸~1872) | 教科:社会(地理(往来物), 旅, 観光などを含む)

学制の頒布により,日本の学校教育制度が整備されていく中で,学制の翌年である1873(明治6)年に制定された小学教則において使うことが例示された地理教科書である。本書は学校の教科書として作成されたものではなく,当時,啓蒙思想家としての地位を築きつつあった福澤諭吉による一般の書籍を小学校の教科書として活用することになった。本書は,『学問のすゝめ』に代表される福澤の数多くの著作の中でも最も広く世に出回ったと言われ,そのような当時のベストセラーが教科書に例示された点からも,創設間もない小学校の教育において地理教育は重要視されていたことが推察される。

本書の内容は,冒頭における「土地の風俗人情も所変われば品変わる。その様々を知らざるは,人の人たる甲斐もなし」に象徴されるように,これからの近代国家構築においては,福澤が嫌悪していた門閥制度のようなものが続いていくのではなく,自分の学びの努力次第で幸福が訪れることを説くために,そのような努力をしないものについての叱咤激励が貫かれている。また本書の中で「賢人と愚人との別は,学ぶと学ばざるとに由って出来るものなり」と述べるように,福澤が世界の国や地域を描き解釈する大きな基準の一つが「学問」であるという点も一貫している。

福澤の世界観については,1885(明治18)年に『時事新報』に掲載された社説「脱亜論」を根拠に,特に戦後の長い間,どちらかと言えば負の評価がなされ続けてきているが,近年は若干の反証的な動向も確認されている。いずれにしても,本書で描かれた世界像形成のあり方は,福澤が実際に経験した門閥制度に縛られた狭い世界から,現実の広い世界を想像し続けて,ついに世界を実体験した上で,自らの解釈した世界像を創造して描いた過程とも重なるものとなっている。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 片上宗二・木村博一・永田忠道編. 混迷の時代!“社会科”はどこへ向かえばよいのか. 明治図書, 2011
  • 教育史編纂会. 明治以降教育制度発達史. 教育資料調査会, 1938, (第一巻)
  • 唐澤富太郎. 教科書の歴史. 創文社, 1956

瓜生氏日本国尽 巻五

時期:学制実施以前(江戸~1872) | 教科:社会(地理・地誌)

学制の頒布により,日本の学校教育制度が整備されていく中で,学制の翌年である1873(明治6)年に制定された小学教則において使うことが例示された日本地理の教科書である。本書の著者である瓜生三寅(うりゅうみとら)は,瓜生寅(うりゅうはじむ)とも称していた。越前福井城下万町(現:福井市春山)の出身で長崎などにおいて漢学,蘭学,英学を学び,江戸幕府の英語学校教授を務めていたと記録されている。その後,1870(明治3)年に時の新政府に登用され文部省,大蔵省,工部省などに勤務,いわゆる官僚としての退官後には実業家として,その生涯において貨幣,地質学,測量,地理,家政学など多方面にわたる著作を残している。なお,瓜生は文部省の在任時には,「文部少教授」の立場で「学制取調掛」(学制起草委員)でもあった。

本書は,京都を起点にした五畿内から東海道,東山道,北海道,北陸道,山陰道,山陽道,南海道,西海道,二島,琉球へと広がる内容構成となっている。ある起点をもとに,その起点から周辺への広がりの中での内容構成は,その後の地理教科書でも継承されて,1874 年の文部省発行『日本地理略』では畿内,東海道,東山道,北陸道,山陰道,山陽道,南海道,西海道,北海道となり,北海道の順列に変化が生じてはいるが,基本的には本書からの内容構成が日本地理を学ぶ際の原則となっていった。

この時期の地理教育においては,学校教育の設立に伴い,啓蒙的で教養的な世界と日本の姿を知りうる機会が確保されて,当時の日本の中では江戸時代までの封建的で家族社会的な生活からの転換が図られていく中で,世界や日本各地の様式の違いを学ぶ場が用意されたことになる。その際の学習の起点は日本地理については京都であったように,身近な地域というような学習者の所在地へのまなざしなどは,ほとんど垣間見られる余地はない時代でもあった。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 教育史編纂会. 明治以降教育制度発達史. 教育資料調査会, 1938, (第一巻)
  • 唐澤富太郎. 教科書の歴史. 創文社, 1956

尋常小学修身書 第三学年 児童用

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:社会(修身)

戦前の教科書は文部省による認可や検定の制度を経て,1903(明治36)年からは国定化が図られることになる。翌年の1904(明治37)年からは国語,修身,日本歴史,地理の国定教科書が使用され始めるが,本教科書は第一期の国定修身教科書である。この最初の国定修身教科書が,以後の修身教科書の基本構成を決定したことにもなり,従来の修身教科書に見られた儒教倫理と近代倫理との矛盾が克服されて,近代社会的な倫理が強調された教科書との評価がある一方で,旧来型の修身教科書に根ざす立場からは強い批判もあり,国定修身教科書の改訂の度に揺り戻しが起こることにもなっていく。

本書は,第三学年児童用であり,その内容は「こーごーへいか(皇后陛下)」から始まり,「ちゅーぎ」,「そせん(祖先)」,「こーこー」,「きんべん(勤勉)」,「がくもん」と続く。 この時期以前の修身教科書においては,内容を徳目で構成するものと人物で編成するものの双方が両立していたが,第一期の国定修身教科書では項目的には徳目主義が採用されたことになる。この徳目は学校,家庭,社会,個人,国民という5つの生活領域における心得による排列が教科書上に採られており,各学年の最終項目には総括的な項目がおかれ,本書の場合の最終項目は「ふくしゅー(復習)」となっていた。第一期国定修身教科書はこのように表向きは徳目主義であったが,本文内容は学年段階に応じて,仮設の人物,歴史上の人物,外国人のそれぞれの例話を織り交ぜた構成となっていた点も特徴的であった。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 教育史編纂会. 明治以降教育制度発達史. 教育資料調査会, 1938, (第一巻)
  • 唐澤富太郎. 教科書の歴史. 創文社, 1956
  • 中川浩一. 近代地理教育の源流. 古今書院, 1978

小学地理 一

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:社会(地理・地誌)

戦前の教科書は文部省による認可や検定の制度を経て,1903(明治36)年からは国定化が図られることになる。翌年の1904(明治37)年からは国語,修身,日本歴史,地理の国定教科書が使用され始めるが,本教科書は第一期の国定地理教科書である。本教科書は,当時の高等小学校の各学年1冊ずつの4冊で構成されている。第一・二学年用にあたる一と二は日本の地理,第3学年の三は世界の地理,第4学年の四は日本と世界の地理の補習用とされている。当時の小学校は4年間の尋常小学校の後に,高等小学校の2年まででの就学者が多く,日本の地理だけしか学校で学ばなかった子どもたちが大半であったとされている。

本書は,高等小学校の第一学年であり,その内容は「総論」から始まり,「関東地方」,「奥羽地方」,「本州中部地方」と続く。第二学年用の二は「近畿地方」から「中国地方」,「四国地方」,「九州地方」,「北海道」,「台湾」,「地球」の構成となった。この時期以前の地理教科書においては,畿内から始まり東海道,東山道と続く,畿内八道による内容構成が明治初期より採用されてきたが,第一期の国定地理教科書となる本書からは,いわゆる八地方区分へと変更がなされることとなった。この第一期国定地理教科書では,関東地方から本州中部地方までが一巻,近畿から北海道,台湾,地球が二巻とされたが,当時の日本の地理的な範囲を教科書の各巻で区分けする境界は,二期から五期へと国定教科書の改訂の度に変動したが,その時期ごとの日本の中心と周辺の拡大が地理教科書の中で顕著に示されていくことにもなっていく。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 教育史編纂会. 明治以降教育制度発達史. 教育資料調査会, 1964, (第四巻)
  • 唐澤富太郎. 教科書の歴史. 創文社, 1956
  • 中川浩一. 近代地理教育の源流. 古今書院, 1978

小学日本歴史 一

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:社会(日本史)

戦前の教科書は文部省による認可や検定の制度を経て,1903(明治36)年からは国定化が図られることになる。翌年の1904(明治37)年からは国語,修身,日本歴史,地理の国定教科書が使用され始めるが,本教科書は第一期の国定歴史教科書である。本教科書は,当時の高等小学校の第一・二・三学年用の五巻で構成されている。第一・二学年用にあたる一と二は歴史上の人物を中心に日本の歴史の概要を,第三・四学年の三と四は人物と出来事をもとに制度や風俗などの文化的な内容や外国との関係なども扱われている。この四巻に加えて,四年制ではなく三年制をとる高等小学校の第三学年用の教科書も作成されている。

本書は,高等小学校の第一学年用であり,その内容は「天照大神」から始まり,「神武天皇」,「日本武尊」と続き,「北条氏亡ぶ」までの内容である。第二学年用の二は「建武の中興」から「明治二十七八年戦役」までの構成となっていた。この時期以前の歴史教科書においては,検定教科書の時代から既に歴史上の人物を中心にした教科書構成が定式化してきており,この形式は国定歴史教科書においても踏襲されたことになる。取り上げられている人物は国定前と同様に古代については天皇が多くはなっているが,中世から近世にかけては平清盛や源頼朝から徳川家に至るまで政治に深く関与した人物,近世以降は政治的な出来事へと,その主題の軸足に推移が見られるのも本教科書の特徴となっている。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 教育史編纂会. 明治以降教育制度発達史. 教育資料調査会, 1964, (第四巻)
  • 海後宗臣. 歴史教育の歴史. 東京大学出版会, 1969
  • 唐澤富太郎. 教科書の歴史. 創文社, 1956
  • 吉田太朗. 歴史教育内容・方法論史. 明治図書, 1968

尋常小学修身書 巻一 児童用

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:社会(修身)

1918年(大正7年)以降に発行された第三期国定修身教科書『尋常小学修身書』は,1907(明治40)年からの義務教育年限の延長,すなわち尋常小学校の修業年限の6年制に伴い,尋常小学校の第一学年から第六学年までの各学年に対応するように,巻一から巻六までが用意された。この第三期国定修身教科書の内容項目は,おおむね「家族道徳」・「社会道徳」・「個人道徳」・「国家道徳」に分類される。

家族道徳の内容としては,「孝行」・「兄弟」・「主婦の務」・「祖先と家」等がある。社会道徳は「公益」・「産業を興せ」・「共同」・「衛生」等,個人道徳は「忠実」・「自立自営」・「倹約」・「勉強」等,国家道徳は「天皇陛下」・「国交」・「忠孝」・「国運の発展」等である。修身教科書における道徳の構成は,その割合で見ると,個人道徳の内容が最も多く,続いて社会道徳・国家道徳・家族道徳の順の扱いとなっていた。また,低学年では個人道徳と家族道徳の内容が支配的であるが,学年が進むに従って社会道徳や国家道徳の内容が中心的になる。そして,巻六の第二十五から第二十七までは「教育に關する勅語」が取り上げられて,6年間の修身教育が締めくくられる構成となっている。

当時の修身科においては,教育勅語の趣旨に基づいて,孝悌,親愛,勤倹,恭敬,信実,義勇等の徳目や国家社会に対する責務を授けることによって,忠君愛国の志気を養うことが目指されており,第三期国定修身教科書に織り込まれた教育勅語の価値や規範の体系を,子どもたちに習得させることが求められて,その結果として日本国民としての在り方と責任の自覚を持たせることが,期待された。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 教育史編纂会. 明治以降教育制度発達史. 教育資料調査会, 1964, (第五巻)
  • 唐澤富太郎. 教科書の歴史. 創文社, 1956
  • 永田忠道. 大正自由教育期における社会系教科授業改革の研究. 風間書房, 2006

尋常小学地理書 児童用 巻一

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:社会(地理・地誌)

1918年(大正7年)発行の第三期国定地理教科書『尋常小学地理書』は,1907(明治40)年からの義務教育年限の延長,すなわち尋常小学校の修業年限の6年制に伴い,尋常小学校の第五学年と第六学年までの各学年に対応するように,巻一と巻二が用意された。

この第三期国定地理教科書の内容項目は, 日本の各地方と世界の各州を,大項目として掲げる構成を採っている。このうち日本の地理については,まず巻一の第一「大日本帝国」で,日本全体の位置関係を示した後に,第二の「関東地方」以降,各地方別の説明がされている。この地方別の説明では,各地方の特徴を表現する指標として,「区分,地勢,産業,交通・・」といった中項目が,どの地方にも一律に配置されている。更にその下には,例えば「産業」に関しては,「農業・工業,鉱業,水産業」といった小項目も一律に配置されている。そして,そのような各項目下では,一貫して「どこ」に「なに」がある,といった形式の地名物産的な記述が,重点的になされている。

このような地方別の説明を踏まえて,最終的に,巻二の第七「大日本帝国総説」では,日本全体の総括的説明が,産業を中心にしてなされ,日本地理についての説明を締めくくっている。一方,世界の地理に関しては,巻二の第八「アジア州」以降,各州別の説明がなされている。この州別の説明においても,日本の地方別と同様に「区分,地勢,産業・・」といった項目が配置されており,本文も同様の形式で記述されている。そして,最終的に,第十四「世界と日本」では,州別の説明を踏まえた上で,日本と世界との関係性が記述され,世界地理についての説明を,締めくくっている。

第三期国定地理教科書は,子どもたちに日本国民としての誇りと自覚をもたせ,そのことによって,円滑な国土空間経営を担う国民の形成に資する必要があった,とされている。そのため,日本や世界各地の地名物産をもれなく示すことで,対内的には産業開発の必要性を,対外的には産業国家日本の優位性を現出させるものとなった。それにより,子どもたちに,産業国家日本の国民としての誇りを持たせ,日本国民として国家の産業発展に寄与する自覚を促す教科書となっていた。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 教育史編纂会. 明治以降教育制度発達史. 教育資料調査会, 1964, (第五巻)
  • 唐澤富太郎. 教科書の歴史. 創文社, 1956
  • 永田忠道. 大正自由教育期における社会系教科授業改革の研究. 風間書房, 2006

尋常小学国史 上巻

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:社会(日本史)

1920年(大正9年)以降に発行された第三期国定歴史教科書『尋常小学国史』,1907(明治40)年からの義務教育年限の延長,すなわち尋常小学校の修業年限の6年制に伴い,尋常小学校の第五学年と第六学年までの各学年に対応するように,上巻と下巻が用意された。

この第三期国定歴史教科書は,内容項目のほとんどに人物名を掲げて,それぞれの人物の行動などを中心に記述されているところに,大きな特徴がある。この人物中心の歴史教科書は,以前からの傾向であったが,『尋常小学国史』は戦前の歴史教科書の中でも最も多くの人物が取り上げられていた。本教科書に掲載された人物とは,天皇などの皇族や将軍などの武将が大半を占めており,教科書の本文もその人物にまつわる様々な出来事や,その人物と皇室との関係性を中心に,記述がなされている点が特徴的である。また,本教科書のもう一つの特徴として,江戸末期以降の内容項目において,第一「天照大神」から第四十六「高山彦九郎と蒲生君平」までは,第十九「武家政治の起」を除いて,全て人物名による項目立てとなっているのに対して,第四十七「攘夷と開港」以降は,それまでと一転して,人物ではなく,国家にかかわる歴史的出来事が中心的に掲げられるようになっている。本教科書は基本的には,皇族や武将などの人物と皇室との関係性を中心とした構成を取りながら,近現代についてだけは,国家にかかわる歴史的出来事を重視するという二層構造を採用していた。

第三期国定歴史教科書『尋常小学国史』は,皇室との関係性と人物を中心とした構成を取りながら,近現代についてだけは国家にかかわる歴史的出来事を中心とする二層構造を採用することにより,皇室に対する忠義と武勇でもって国運の発展のために尽くすという国民意識と共に,万世一系の天皇によって統治されている世界的な国家をますます発展させていく必要があるという国家意識の形成を促そうとしていた。そして,本教科書を用いる歴史授業でも,歴史を教授することによる国民意識と国家意識の形成が求められていくこととなった。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 教育史編纂会. 明治以降教育制度発達史. 教育資料調査会, 1964, (第五巻)
  • 唐澤富太郎. 教科書の歴史. 創文社, 1956
  • 永田忠道. 大正自由教育期における社会系教科授業改革の研究. 風間書房, 2006

初等科修身 一

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:社会(修身)

1942(昭和17)年に第3・4学年用が,1943(昭和18)年に第5・6学年用が発行された文部省(現,文部科学省)による国民学校用の国定教科書である。戦時体制の中,1941(昭和16)年に小学校は国民学校となり,教科としての国民科が制定され,国民科の中に修身・国語・歴史・地理が統合されたが,教科書は『初等科修身』のように,従来の教育内容区分のままに,それぞれが発行される形をとった。なお,国民科修身の第1・2学年用の教科書『ヨイコドモ』は1941(昭和16)年の発行であった。

『初等科修身』の内容は,一は「み国のはじめ」から「皇后陛下」まで,二は「春から夏へ」,「『君が代』」,「靖国神社」から「大陸と私たち」まで,三は「大日本」から「昔から今まで」,四は「大御心の奉体」から「新しい世界」までの配列が採用された。このような『初等科修身』は,国民科修身の目的である「国民科修身ハ教育ニ関スル勅語ノ旨趣ニ基キテ国民道徳ノ実践ヲ指導シ児童ノ徳性ヲ養ヒ皇国ノ道義的使命ヲ自覚セシムルモノトス」に合致するように,教育勅語に基づいた皇国の道義的使命の考え方を明確に指し示す教科書でもあった。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 滋賀大学附属図書館編. 近代日本の教科書のあゆみ. サンライズ出版, 2006
  • 文部省. 学制百年史. 帝国地方行政学会, 1972

初等科地理 上

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:社会(日本地理)

1943(昭和18)年に発行された文部省(現,文部科学省)による国民学校用の国定教科書である。戦時体制の中,1941(昭和16)年に小学校は国民学校となり,教科としての国民科が制定され,国民科の中に修身・国語・歴史・地理が統合されたが,教科書は『初等科地理』のように,従来の教育内容区分のままに,それぞれが発行される形をとった。

しかしながら,『初等科地理』の内容は,旧来の地理教科書の内容構成からは大きな変換が図られた。上巻は「日本の地図」から始まり,「本州・四国・九州」,「帝都のある関東平野」,「東京から神戸まで」,「神戸から下関まで」,「九州とその島々」と続き,「北陸と山陰」,「中央の高地」,「東京から青森まで」,「北海道と樺太」,「朝鮮と関東州」,「台湾と南洋群島」まで,下巻は「大東亜」から「昭南島とマライ半島」,「東インドの島々」,「フィリピンの島々」,「満州」,「蒙疆」,「支那」,「インド支那」,「インドとインド洋」,「西アジアと中アジア」,「シベリア」,「太平洋とその島々」までの配列が採用された。このような『初等科地理』は,国民科地理の目的である「国民科地理ハ我ガ国土国勢及諸外国ノ情勢ニ付テ其ノ大要ヲ会得セシメ国土愛護ノ精神ヲ養ヒ東亜及世界ニ於ケル皇国ノ使命ヲ自覚セシムルモノトス」に合致するように,当時の大東亜共栄圏の考え方を明確に指し示す教科書でもあった。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 滋賀大学附属図書館編. 近代日本の教科書のあゆみ. サンライズ出版, 2006
  • 文部省. 学制百年史. 帝国地方行政学会, 1972
  • 寺本潔. 国民科地理に関する一考察-初等科地理 (上)・(下) を中心にして-. 新地理. 1981. Vol.29, No.2, pp.25-35.

初等科国史 上

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:社会(日本史)

1943(昭和18)年に発行された文部省(現,文部科学省)による国民学校用の国定教科書である。戦時体制の中,1941(昭和16)年に小学校は国民学校となり,教科としての国民科・理数科・芸能科・体鍛科が制定された。国民科の中に旧来からの修身・国語・歴史・地理が統合されたが,教科書は『初等科国史』のように,従来の教育内容区分のままに,それぞれが発行される形をとった。

しかしながら,『初等科国史』の内容は,旧来の歴史教科書の内容構成からは大きな変換が図られた。上巻は「神国」から始まり,「大和の国原」,「奈良の都」,「京都と地方」と続き,「鎌倉武士」,「吉野山」,「八重の潮路」まで,下巻は「御代のしづめ」から「のびゆく日本」,「東亜のまもり」,「世界のうごき」,「昭和の大御代」までの配列が採用された。このような『初等科国史』は,国民科国史の目的である「国民科国史ハ我ガ国ノ歴史ニ付テ其ノ大要ヲ会得セシメ皇国ノ歴史的使命ヲ自覚セシムルモノトス」に合致するように,当時の皇国の歴史的使命の考え方を明確に指し示す教科書でもあった。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 海後宗臣. 歴史教育の歴史. 東京大学出版会, 1969
  • 滋賀大学附属図書館編. 近代日本の教科書のあゆみ. サンライズ出版, 2006
  • 文部省. 学制百年史. 帝国地方行政学会, 1972
  • 茨木智志. 国民学校初等科の国民科国史教科書『初等科国史』に対する基礎的考察. 歴史教育史研究. 2003. No.1, pp.18-40.

くにのあゆみ

時期:文部省著作教科書期(1946~1948) | 教科:社会(日本史)

戦後,文部省(現,文部科学省)において作られた国民学校用の最後の国定教科書である。家永三郎(古代~平安),森末義彰(鎌倉~室町),岡田章雄(江戸),大久保利謙(明治以後)の4人の執筆で,短期間で書き上げられ,CIE(民間情報教育局)の修正をへて1946(昭和21)年9月10日に完成。同時期に取り組まれたものに,『日本の歴史』(中学校用)や『日本歴史』(師範学校用)がある。CIEは,『くにのあゆみ』を使用することを条件に,10月19日に国史授業の再開を許可した。

その内容は,それ以前の歴史教科書と比べて,①人物中心の構成ではなく,時代区分と各時代を特色づける題名による通史的な叙述,②神話が姿を消し,考古学的叙述から歴史が始まる,③従来みられなかった経済史・生活史・文化史の内容が加えられる,④概ね客観的・実証的な記述がなされる,といった特色がみられ,敗戦後の教育内容の変化を具体的に示すものであったため,多方面で大きな反響を呼んだ。しかし,歴史学研究の成果に基づいて内容を書き換えるというよりも,それ以前の内容の問題が多い部分についての修正にとどまっているといった批判が,歴史研究者からなされた。

このような批判はあったが,それ以前の教科書と比べて画期的な内容であり,その後の歴史教科書の原型となった点や,歴史研究者に歴史教育の重要性を認識させた点で,一定の評価がなされている。(解題執筆:小原 友行)

参考文献

  • 海後宗臣. 歴史教育の歴史. 東京大学出版会, 1969
  • 家永三郎. 「くにのあゆみ」編纂始末. 民衆社, 2001
  • 井上清. くにのあゆみ批判―正しい日本歴史. 解放社, 1947

たろう 社会科 第三学年用

時期:文部省著作教科書期(1946~1948) | 教科:社会(社会科)

第二次世界大戦が終結して,占領下の中で誕生した我が国の社会科では,戦前の国定教科書にかわり戦後の検定教科書の制度が整うまでの間,小学校においては8冊の文部省著作社会科教科書が刊行された。文部省著作による社会科教科書は,第1学年用については作成がなさなかったが,1947年発行の『学習指導要領社会科編(一)』で示された第1学年での問題を見ると,問題Ⅴ「私たちは旅行のときにどんなことを心得,どんなことをする必要があるか」といったものも設定されている。この問題に即した学習活動の例としては,通学路を中心とした学習想定ではあるものの,身近な地域だけに限定することなく,旅行を見据えたより広い地域や空間も学習可能性が示されている。

このような第1学年での地域や空間の学びは,第2学年用の教科書『まさおのたび』に続く第3学年用の教科書『たろう』でも継続発展されることになる。教科書『たろう』では,町へ電車や地下鉄を利用するなどして,主人公であるたろうが地域的な経験を積む内容である。その内容項目は,「町へ」から始まり,「ふみきりばん」,「しんたいけんさ」,「おるすばん」,「はくぶつかん」,「海べの町で」で構成されている。最初の内容項目である「町へ」では,たろうの乗る電車が川の上を走っていると,台風による大雨で川が増水している様子をみて,村の人が総出で対応したことを回想する内容から,一連の物語が進められている。このような教科書の取り扱いについて,巻末に記された「先生方へ」によれば,この教科書により,「ただ一編の物語を読むように読み捨てられてしまうのでなく」,「この主人公をめぐって展開する種々の場面を通して,この本を読む児童は,現代の生活の諸面を理解し,とくに自分の住む土地以外の多くの事柄に触れる」ことを期待して作成されたものであった。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 片上宗二. 日本社会科成立史研究. 風間書房, 1993
  • 滋賀大学附属図書館編. 近代日本の教科書のあゆみ-明治期から現代まで-. サンライズ出版, 2006

大むかしの人々 社会科 第三学年用

時期:文部省著作教科書期(1946~1948) | 教科:社会(社会科)

第二次世界大戦が終結して,占領下の中で誕生した我が国の社会科では,戦前の国定教科書にかわり戦後の検定教科書の制度が整うまでの間,小学校においては8冊の文部省著作社会科教科書が刊行された。そのうち,第3学年用については,『たろう』と『大むかしの人々』が用意された。『たろう』は,町へ電車や地下鉄を利用するなどして,主人公であるたろうが地域的な経験を積む内容であったが,『大むかしの人々』は,社会科学習指導要領補説に示された第3学年の主要経験領域である「地域社会の生活(大昔の生活と比較して)」に対応する教科書として編纂されている。

その内容項目は,「まえがき」から始まり,「大むかしの人々」,「私たちのそせんはどんな生活をしていたか-日本の大むかしの人々」で構成されている。最初の内容項目である「まえがき」では,明という少年が森の中で道に迷ったことをきっかけとして,もし森の中で誰にも探し出されなかったら,「きっと大むかしの人々とおなじようにくらさなければならなかったんだ」と考えて,「大むかしの人々のことについて,いっしょうけんめいに考えはじめました」という展開となっている。

このような教科書の取り扱いについて,巻末に記された「教師のかたがたへ」によれば,この教科書は「人類や日本の文明のひらけない大昔の未開の生活およびわれわれの祖先の生活に取材して,現在の人間生活・社会生活に対する目をひらき,これについて知識や理解を廣め,かつ深めることを,その主要なねらいとしている」として,第4学年用の教科書『日本のむかしと今』の序説となることも期待して作成されたものであった。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 片上宗二. 日本社会科成立史研究. 風間書房, 1993
  • 滋賀大学附属図書館編. 近代日本の教科書のあゆみ-明治期から現代まで-. サンライズ出版, 2006

日本のむかしと今 社会科 第四学年用

時期:文部省著作教科書期(1946~1948) | 教科:社会(社会科)

第二次世界大戦が終結して,占領下の中で誕生した我が国の社会科では,戦前の国定教科書にかわり戦後の検定教科書の制度が整うまでの間,小学校においては8冊の文部省著作社会科教科書が刊行された。そのうち,第4学年用については,『日本のむかしと今』が用意された。『日本のむかしと今』は,第3学年用の『大むかしの人々』に接続対応する教科書として編纂されている。

その内容項目は,「だれが世の中を今のようにべんりにしたか」から始まり,「どんなふうにして商業がさかんになり,町ができていったか」,「人々は,むかしどんなふうにしてゆききをしたり,ものごとをしらせあったりしたか」,「どんなふうにして,今のようにべんりな世の中になってきたか」,「私たちの村は,むかしとくらべてどんなふうにかわってきたか」で構成されている。

最初の内容項目である「だれが世の中を今のようにべんりにしたか」では,「夕はんがすんで,みんながお茶をのみはじめると,おじいさんは,いつものように,にこにこしながら,むかしばなしをはじめました」という設定で話が進み,「では,私たちのそせんは,世の中をべんりでたのしいものにするために,どんなことをしてきたのでしょうか。私たちは,この本では,そのことをけんきゅうしてみようと思います」と展開していく。

このような教科書の取り扱いについて,巻末に記された「教師のかたがたへ」によれば,この教科書は「われわれの祖先の生活に取材し,生産・消費・交通・通信・政治・教育その他,社会生活における主要なことがらが,昔にくらべてどのように便利に豊かになってきたということを理解させ,現在の人間生活・社会生活に対する目をひらき,これについての知識や,理解を廣め,かつ高めることを主要なねらいにした」として,「無理強いや暗記に終る」のではない歴史学習のあり方を期待して作成されたものであった。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 片上宗二. 日本社会科成立史研究. 風間書房, 1993
  • 滋賀大学附属図書館編. 近代日本の教科書のあゆみ-明治期から現代まで-. サンライズ出版, 2006

村のこども 第五学年用

時期:文部省著作教科書期(1946~1948) | 教科:社会(社会科)

第二次世界大戦が終結して,占領下の中で誕生した我が国の社会科では,戦前の国定教科書にかわり戦後の検定教科書の制度が整うまでの間,小学校においては8冊の文部省著作社会科教科書が刊行された。そのうち,第5学年用については,『村のこども』と『都会の人たち』が用意された。この第5学年用の2冊は「私たちの生活(一)」と「私たちの生活(二)」とも位置付けられており,第6学年用の教科書『土地と人間』,『気候と生活』も「私たちの生活(三)」と「私たちの生活(四)」とされていることから,小学校高学年での連続性が意識された教科書となっている。

本教科書『村の子ども』は,「三郎さんもいよいよ五年生になりました」と始まるように,第2学年用の教科書『まさおのたび』から続く子どもの視点での教科書記述形式がとられながらも,続く『都会の人たち』にかけて,徐々に家庭や学校や地域から,病院や工場,銀行や百貨店などの都市の機能などへと学習が展開していくような構成がとられている。『村の子ども』の内容項目は「五年生になって」,「委員会」,「さまざまの協力」,「誕生日」,「夏休みの計画」,「夕御飯のあと」,「町からの手紙」,「新聞やラジオのなかった時代」で編成されている。本教科書の特徴の一つとして,それぞれの内容項目での物語的な話の後に,「次のような事を考えてみたり,してみたらどうでしょうか」との指示が付されている点があげられる。例えば,内容項目「委員会」の末尾には,「みんなの意見をまとめ,きめられたことを実行するには,どんな注意が必要か考えること」や「委員のえらびかた,委員としての仕事のしかたを考えてみること」との指示があり,この指示を教師の計画した学習活動に児童を導くきっかけとしてりようすることも例示されている。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 片上宗二. 日本社会科成立史研究. 風間書房, 1993
  • 滋賀大学附属図書館編. 近代日本の教科書のあゆみ-明治期から現代まで-. サンライズ出版, 2006

都会の人たち 第五学年用

時期:文部省著作教科書期(1946~1948) | 教科:社会(社会科)

第二次世界大戦が終結して,占領下の中で誕生した我が国の社会科では,戦前の国定教科書にかわり戦後の検定教科書の制度が整うまでの間,小学校においては8冊の文部省著作社会科教科書が刊行された。そのうち,第5学年用については,『村のこども』と『都会の人たち』が用意された。この第5学年用の2冊は「私たちの生活(一)」と「私たちの生活(二)」とも位置付けられており,第6学年用の教科書『土地と人間』,『気候と生活』も「私たちの生活(三)」と「私たちの生活(四)」とされていることから,小学校高学年での連続性が意識された教科書となっている。

本教科書『都会の人たち』は,もう一つの第5学年用教科書である『村のこども』に対応してはいるが,両書の関係について,農村用と都市用という峻別ではなく根本的にはどちらにも共通する問題を取り上げ,その相互の理解を深めることがめざされていると,示されている。本書の内容項目は「私の家」から始まり,「図書委員になって」の後には,「大きな病院」,「工場の見学」,「紡績工場へ」,「学校給食」,「ビルディングのしらべ」,「運動会」,「街灯録音」,「銀行の仕事」,「都市の気分」,「お米の列車」,「百貨店での買物」と続き,「これからの都市」までで編成されている。『都会の人たち』は,都市の生活を中心に,人間生活や社会生活についての知識を広げ,自分たちの生活における各種の問題を発見させ,その解決のための若干の資料を与えようとしている,との立ち位置である。そのため,急速に移りかわっていく都市生活の事実は教師と児童によって修正されていかなければならないものであり,本教科書を作文の模範のように扱い,児童の社会科の学習帳を教科書の文章でうめるようなことのないように,また教科書内容を無批判に受け入れることのないように,との留意が示されていることも印象的である。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 片上宗二. 日本社会科成立史研究. 風間書房, 1993
  • 滋賀大学附属図書館編. 近代日本の教科書のあゆみ-明治期から現代まで-. サンライズ出版, 2006

土地と人間 第六学年用

時期:文部省著作教科書期(1946~1948) | 教科:社会(社会科)

第二次世界大戦が終結して,占領下の中で誕生した我が国の社会科では,戦前の国定教科書にかわり戦後の検定教科書の制度が整うまでの間,小学校においては8冊の文部省著作社会科教科書が刊行された。そのうち,第6学年用については,『土地と人間』と『気候と生活』が用意された。この第6学年用の2冊は「私たちの生活(三)」と「私たちの生活(四)」とも位置付けられており,第5学年用の教科書『村のこども』,『都会の人たち』も「私たちの生活(一)」と「私たちの生活(二)」とされていることから,小学校高学年での連続性が意識された教科書となっている。

本教科書『土地と人間』の内容は,「地図をながめて」から始まり,「川ぞいの土地」,「台地のひろがる地方」,「山にかこまれている土地」,「山の地方」,「海べりの土地と沖あいの島」という5つの項目で編成されている。本書は「川ぞいの土地」では大阪平野,「台地のひろがる地方」では関東,「山にかこまれている土地」では諏訪盆地や京都と奈良,「山の地方」では木曽谷,のように日本各地の特色ある地形の中での人間生活を取り上げており,子どもたちが住んでいる土地においても各種の地勢の要素が含まれていることも考察しながらの学習展開が期待されていた。

小学校における8冊の文部省著作社会科教科書は,小学校低学年から第5学年にかけての長い期間をかけて,子どもたちの生活経験可能な地域の学習が中心となっていた。これは戦前の第5・6学年で特殊な意味合いながらも系統的に学習が展開された世界や日本の地理学習のあり方からは大きく転換がなされたものであった。戦後の文部省著作教科書では,第6学年で集中的に展開される日本と世界の学習のあり方は,世界や日本の地域区分に即した学習ではなく,地形や自然現象に応じたいわば主題的な学習となっている点も特徴的である。小学校低学年から第5学年にかけての生活経験可能な地域の学習と,第6学年で集中的に展開される日本と世界の学習のあり方ともに,その内容構成の背景には戦前の地理教育のような国家主義や政治色を排除するべく,子どもたちの生活経験と科学性の担保のしやすい自然地理を基盤とした「地域・世界・空間」の学習が採用されたとの見方もできる。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 片上宗二. 日本社会科成立史研究. 風間書房, 1993
  • 滋賀大学附属図書館編. 近代日本の教科書のあゆみ-明治期から現代まで-. サンライズ出版, 2006

民主主義 上

時期:文部省著作教科書期(1946~1948) | 教科:社会(社会科)

第二次世界大戦が終結して,占領下の中で誕生した我が国の社会科において,高等学校の総合(一般)社会科用の教科書の中には3つの特別教科書が存在した。農地改革法の成立を契機にCIE(民間情報教育局)の情報課と天然資源局からの要請で作成された『農地改革』と,1946(昭和21)年の秋に特別の教科書プロジェクトとしてCIEの教育課からの要請で作成された『あたらしい憲法のはなし』と『民主主義(上・下)』である。

本教科書『民主主義』は,上・下の2部構成で作成が進められ,上巻が1948(昭和23)年10月30日に,下巻が1949(昭和24)年8月26日に,発行された。もともとは高等学校用の社会科教科書として作成されたが,1949(昭和24)年10月31日付けで中学校社会科に「民主主義の発展」が加えられるに伴い,中学3年用の教科書として使用されることもあった。

上巻は「民主主義の本質」から始まり,「民主主義の発達」,「民主主義の諸制度」,「選挙権」,「多数決」と続き,「民主主義と独裁政治」まで,下巻は「日本における民主主義の歴史」から「憲法に現れた民主主義」,「民主主義の学び方」,「日本婦人の新しい責任」,「国際社会における民主主義」,「民主主義のもたらすもの」までで構成されている。上巻では,主に民主主義の原理的側面や一般的側面が,下巻では,主に我が国おける民主主義の実際的側面が描かれている。

このような特別教科書に対しては,国会で取り上げられ,関係者が職権濫用罪で告発される事態にまで及ぶほど,発行当時は厳しい批判が浴びせられた。しかし,今日では,この教科書の存在を評価する傾向が高まっている。なお,『民主主義』より抜粋された内容の書として,1949(昭和24)年に『民主主義のはなし』,1950(昭和25)年には『続民主主義のはなし』が発行されている。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 片上宗二. 日本社会科成立史研究. 風間書房, 1993
  • 滋賀大学附属図書館編. 近代日本の教科書のあゆみ-明治期から現代まで-. サンライズ出版, 2006
  • 日本社会科教育学会. 社会科教育辞典. ぎょうせい, 2000

まさおのたび 社会科小学校第二学年用

時期:現行検定教科書期(1949~) | 教科:社会(社会科)

第二次世界大戦が終結して,占領下の中で誕生した我が国の社会科では,戦前の国定教科書にかわり戦後の検定教科書の制度が整うまでの間,小学校においては8冊の文部省著作社会科教科書が刊行された。文部省著作による社会科教科書は,第1学年用については作成がなさなかったが,1947年発行の『学習指導要領社会科編(一)』で示された第1学年での問題を見ると,問題Ⅴ「私たちは旅行のときにどんなことを心得,どんなことをする必要があるか」といったものも設定されている。この問題に即した学習活動の例としては,通学路を中心とした学習想定ではあるものの,身近な地域だけに限定することなく,旅行を見据えたより広い地域や空間も学習可能性が示されている。

このような第1学年での地域や空間の学びは,第2学年用の教科書『まさおのたび』でも継続発展されることになる。『まさおのたび』は,いわゆる都会から,まさおと妹のみちこが「いなかのおじさんのうち」へと旅行をする中で様々な体験を重ねていく内容となっている。その内容項目は,「旅の前夜」から始まり,「火事」,「朝とお母さんのしたく」,「交番」,「朝の街」,「駅の朝」,「汽車の窓から」と続き,「おじさんの家」での様子を経て,「お別れ」,「帰りの電車」,「帰宅」,「風呂屋」,「地図をかく」,「かえつた夜」までで構成されている。

戦後すぐの文部省著作社会科教科書に対しては,戦前の教科書とは大きく異なることからの批判もあったが,親近感をもたせようとする体裁や,子どもたちに分かりやすく工夫された記述のあり方,そして何よりも教科書を絶対視するのではなく,教科書は社会科の学習を進めるための一資料と位置付けられた点などが評価されている。(解題執筆:永田 忠道)

参考文献

  • 片上宗二. 日本社会科成立史研究. 風間書房, 1993
  • 滋賀大学附属図書館編. 近代日本の教科書のあゆみ-明治期から現代まで-. サンライズ出版, 2006

尋常小学算術書第三学年児童用

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:数学(算術)

1905年(明治38年)から約30年間使用された尋常小学算術書は,日本で最初に出版された国定算術教科書で,表紙の色が黒一色であることから,これ以降の算術書と区別するために「黒表紙教科書」という名称が使われている。黒表紙教科書は,日常計算の習熟と生活上必須な知識の獲得と思考の精緻化をねらいとしている。暗算を先行させ,様々な計算を筆算で行うことが算術の内容の中心であった。

第2学年までは,100以下の数に関して暗算で四則計算を行っており,第3学年から筆算の指導が始まる。はじめに千未満の数について,「唱え方」,「書き方」,「暗算」を行った後に,「筆算の加減」を学習する。つぎに一万未満に数を拡大したのち,「筆算の乗法」を学習し,最後に一万未満の数について,「筆算の除法」を学習するように内容が構成されている。(解題執筆:久下 敬太)

参考文献

  • 日本数学教育学会出版部. 算数教育指導用語辞典. 日本学教育学会, 2009
  • 植田敦三編. 算数教育の理論と実際. 聖文新社, 2010

尋常小学算術書第四学年児童用

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:数学(算術)

1905年(明治38年)から約30年間使用された尋常小学算術書は,日本で最初に出版された国定算術教科書で,表紙の色が黒一色であることから,これ以降の算術書と区別するために「黒表紙教科書」という名称が使われている。黒表紙教科書は,日常計算の習熟と生活上必須な知識の獲得と思考の精緻化をねらいとしている。暗算を先行させ,様々な計算を筆算で行うことが算術の内容の中心であった。

第3学年までは一万未満の数を扱ったが,第4学年では数の範囲さらに拡大され,一般整数と小数を扱う。はじめに一般整数の暗算や筆算,小数の「唱え方」,「書き方」,「簡易な計算」を行う。つぎに度量衡貨幣と時の計算を学習し,最後に学年の総復習を行っている。第4学年の計算問題には,741111÷6993のように値の大きい数の計算も扱われている。(解題執筆:久下 敬太)

参考文献

  • 日本数学教育学会出版部. 算数教育指導用語辞典. 日本学教育学会, 2009
  • 植田敦三編. 算数教育の理論と実際. 聖文新社, 2010

尋常小学算術第五学年児童用

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:数学(算術)

1905年(明治38年)から約30年間使用された尋常小学算術書は,日本で最初に出版された国定算術教科書で,表紙の色が黒一色であることから,これ以降の算術書と区別するために「黒表紙教科書」という名称が使われている。黒表紙教科書は,日常計算の習熟と生活上必須な知識の獲得と思考の精緻化をねらいとしている。暗算を先行させ,様々な計算を筆算で行うことが算術の内容の中心であった。

第5学年では,整数と小数が組み合わされた複雑な四則計算問題( {(3+4)×6-8}÷2.4など )や,メートル法度量衡の学習を行っている。また,1925年に第三期改訂が行われ,それまでは第6学年のはじめに学習する分数が,第5学年に前倒しされることになった。(解題執筆:久下 敬太)

参考文献

  • 日本数学教育学会出版部. 算数教育指導用語辞典. 日本学教育学会, 2009
  • 植田敦三編. 算数教育の理論と実際. 聖文新社, 2010

尋常小学算術第六学年児童用

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:数学(算術)

1905年(明治38年)から約30年間使用された尋常小学算術書は,日本で最初に出版された国定算術教科書で,表紙の色が黒一色であることから,これ以降の算術書と区別するために「黒表紙教科書」という名称が使われている。黒表紙教科書は,日常計算の習熟と生活上必須な知識の獲得と思考の精緻化をねらいとしている。暗算を先行させ,様々な計算を筆算で行うことが算術の内容の中心であった。

第6学年では,はじめに「約数」,「倍数」,「分数」を学習する。つぎに小数と分数の関係についての学習と歩合算を学び,そして最後に四則応用問題を扱うように内容が構成されている。現代では,分数の計算は第3学年から系統的に行われているが,尋常小学算術書では,分数の計算は第6学年で初めて扱われ,かつ加減乗除全てを1年間で学習している。(解題執筆:久下 敬太)

参考文献

  • 日本数学教育学会出版部. 算数教育指導用語辞典. 日本学教育学会, 2009
  • 植田敦三編. 算数教育の理論と実際. 聖文新社, 2010

尋常小学算術第一学年児童用上

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:数学(算術)

第4期国定算術教科書である『尋常小学算術』は,編纂主任の塩野直道の下,「数理を愛し,数理を追及・把握して喜びを感ずる心を基調とし,事象の中に数理を見出し,事象を数理的に考察し,数理的な行動をしようとする精神的態度」としての数理思想の開発を編纂の主意とされたものであり,表紙が緑色であったことから,緑表紙教科書と呼ばれる。

国定教科書においては,この緑表紙教科書から初めて児童用第一学年の算術書が発行された。第一学年上は,国語科との関係を考慮され,文章を掲げず,絵図を主として構成されている。その題材としては,「球入れ」や「蝶」など,児童の日常の生活場面を中心としたものが扱われた点に特徴がある。(解題執筆:平野 優希)

参考文献

  • 松宮哲夫. 伝説の教科書〈緑表紙〉. 岩波書店, 2007

尋常小学算術 第一学年児童用下

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:数学(算術)

第4期国定算術教科書である『尋常小学算術』は,編纂主任の塩野直道の下,「数理を愛し,数理を追及・把握して喜びを感ずる心を基調とし,事象の中に数理を見出し,事象を数理的に考察し,数理的な行動をしようとする精神的態度」としての数理思想の開発を編纂の主意とされたものであり,表紙が緑色であったことから,緑表紙教科書と呼ばれる。

第一学年児童用の上では絵図のみであったが,下からは,絵図に加えて文字(文章)や式による表現も用いられている。また,その題材は,「雛祭り」や「雪合戦」といったような,児童の日常の生活事象の場面を中心にしながら,「兎の餅つき」のような児童心理に適した仮想問題も採り入れられている点に特徴がある。(解題執筆:平野 優希)

参考文献

  • 松宮哲夫. 伝説の教科書〈緑表紙〉. 岩波書店, 2007

尋常小学算術第六学年児童用上

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:数学(算術)

第4期国定算術教科書である『尋常小学算術』は,編纂主任の塩野直道の下,「数理を愛し,数理を追及・把握して喜びを感ずる心を基調とし,事象の中に数理を見出し,事象を数理的に考察し,数理的な行動をしようとする精神的態度」としての数理思想の開発を編纂の主意とされたものであり,表紙が緑色であったことから,緑表紙教科書と呼ばれる。

最終学年に当たる第六学年は,第五学年までの既習事項を活用し,生活・社会の種々の事象を考察し処理することをねらいとしている。単元として,暦や地球,水の使用量などの算数中心総合学習が設けられており,他教科の分野も考慮に入れ,全体的国民生活の実践指導に重きが置かれた。(解題執筆:平野 優希)

参考文献

  • 松宮哲夫. 伝説の教科書〈緑表紙〉. 岩波書店, 2007

尋常小学算術第六学年児童用下

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:数学(算術)

第4期国定算術教科書である『尋常小学算術』は,編纂主任の塩野直道の下,「数理を愛し,数理を追及・把握して喜びを感ずる心を基調とし,事象の中に数理を見出し,事象を数理的に考察し,数理的な行動をしようとする精神的態度」としての数理思想の開発を編纂の主意とされたものであり,表紙が緑色であったことから,緑表紙教科書と呼ばれる。

第六学年下でも,上と同様に全体的国民生活の実践指導に重きが置かれている。下では,〔色々な問題〕の中に「のびつづける木」や「面積が増え続ける三角形」の問題があり,極限の値をもつ無限等比級数の総和の考察などを通して,小学校段階で,極限の概念が扱われた。(解題執筆:平野 優希)

参考文献

  • 松宮哲夫. 伝説の教科書〈緑表紙〉. 岩波書店, 2007

カズノホン 一

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:数学(算数・数学)

『尋常小学算術』(通称「緑表紙教科書」)が,昭和16年(1941年),国民学校の発足と同時に国民学校理数科の算数教科書として改訂され,小学校1・2年生用として『カズノホン』が4巻,小学校3~6年用として『初等科算数』が8巻編纂された。この教科書は表紙が水色であったため,水色表紙教科書と略称されることもある。

『カズノホン』の編集には,前田隆一が主としてあたり,『尋常小学算術』の編集にも関わった安藤寿朗と森規矩雄のほかに文部省の外から池松良雄が加わっている。

児童心理的発達を考慮する点において,また,具体的現実的生活問題に視点を向けることにおいて,上述の『尋常小学算術』と基本的には同一系統に属しているとみられるが,軍国調の強い内容になっている点が特徴である。

第一章「数え方」,第二章「数の増減」,第三章「数の構成」の3つの章から構成されている。(解題執筆:村上 良太)

参考文献

  • 守屋誠司. 小学校指導法 算数. 玉川大学出版部, 2011

カズノホン 二

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:数学(算数・数学)

『尋常小学算術』(通称「緑表紙教科書」)が,昭和16年(1941年),国民学校の発足と同時に国民学校理数科の算数教科書として改訂され,小学校1・2年生用として『カズノホン』が4巻,小学校3~6年用として『初等科算数』が8巻編纂された。この教科書は表紙が水色であったため,水色表紙教科書と略称されることもある。

『カズノホン』の編集には,前田隆一が主としてあたり,『尋常小学算術』の編集にも関わった安藤寿朗と森規矩雄のほかに文部省の外から池松良雄が加わっている。

児童心理的発達を考慮する点において,また,具体的現実的生活問題に視点を向けることにおいて,上述の『尋常小学算術』と基本的には同一系統に属しているとみられるが,軍国調の強い内容になっている点が特徴である。

第一章「十までの数範囲における加減」,第二章「百までの数」,第三章「百までの簡単な加減」,第四章「二位数と基数との加減」の4つの章から構成されている。(解題執筆:村上 良太)

参考文献

  • 守屋誠司. 小学校指導法 算数. 玉川大学出版部, 2011

カズノホン 四

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:数学(算数・数学)

『尋常小学算術』(通称「緑表紙教科書」)が,昭和16年(1941年),国民学校の発足と同時に国民学校理数科の算数教科書として改訂され,小学校1・2年生用として『カズノホン』が4巻,小学校3~6年用として『初等科算数』が8巻編纂された。この教科書は表紙が水色であったため,水色表紙教科書と略称されることもある。

『カズノホン』の編集には,前田隆一が主としてあたり,『尋常小学算術』の編集にも関わった安藤寿朗と森規矩雄のほかに文部省の外から池松良雄が加わっている。

児童心理的発達を考慮する点において,また,具体的現実的生活問題に視点を向けることにおいて,上述の『尋常小学算術』と基本的には同一系統に属しているとみられるが,軍国調の強い内容になっている点が特徴である。

第一章「千までの数」,第二章「二位数と二位数の加減」,第三章「倍の概念」,第四章「かけ算九九」の4つの章から構成されている。(解題執筆:村上 良太)

参考文献

  • 守屋誠司. 小学校指導法 算数. 玉川大学出版部, 2011

カズノホン 三

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:数学(算数・数学)

『尋常小学算術』(通称「緑表紙教科書」)が,昭和16年(1941年),国民学校の発足と同時に国民学校理数科の算数教科書として改訂され,小学校1・2年生用として『カズノホン』が4巻,小学校3~6年用として『初等科算数』が8巻編纂された。この教科書は表紙が水色であったため,水色表紙教科書と略称されることもある。

『カズノホン』の編集には,前田隆一が主としてあたり,『尋常小学算術』の編集にも関わった安藤寿朗と森規矩雄のほかに文部省の外から池松良雄が加わっている。

児童心理的発達を考慮する点において,また,具体的現実的生活問題に視点を向けることにおいて,上述の『尋常小学算術』と基本的には同一系統に属しているとみられるが,軍国調の強い内容になっている点が特徴である。

第一章「基数に基数を寄せて十一以上となる寄算」,第二章「十一以上の数から基数を引いて基数の残るひき算」,第三章「二位数と二位数の加減」,第四章「二位数と二位数の加減その2」,第5章「二位数と基数からの加減」の5つの章から構成されている。(解題執筆:村上 良太)

参考文献

  • 守屋誠司. 小学校指導法 算数. 玉川大学出版部, 2011

中等数学一第二類

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:数学(算数・数学)

文部省は,昭和17年に「中学校,高等女学校数学及理科教授要目」を公表し,数学科の目標を「数学に於ては,数,量,空間を中心として事物現象を考察処理するの能力を錬磨し,数理とその応用との一般を会得せしめ,数理思想を涵養し,国民生活の実践に導き,国運発展の日を挙ぐる資質を啓蒙することを要す」とした。この要目には,算術,代数,幾何の融合,事物現象の考察処理等,我が国の数学教育改造運動の主張が具現化されている。しかし,「数・量・空間を中心として数学を一体たらしむる」ことは困難であるとして,中学校数学は,「数・量」を中心とする「第一類」と,「空間」を中心とする「第二類」の二系統に分類された。この改正要目に基づき,昭和18年と昭和19年に,中学校及び高等女学校用の数学の教科書が発行されている。これらの教科書は,事項についての説明はほとんどなく,一連の問いに対して生徒自身が定理や法則を見つけ出すことを促している点に特徴がある。

『中等数学一 第二類』は,この改訂要目に基づき,杉村欣次郎を中心に編纂された中学校第一学年の「空間(図形)」を中心とした国定教科書であり,改訂要目に示された第一学年第二類の内容と説明(「測量,測定(簡単なる測量法を指導し,長さ,角度,面積,体積の観念を明確にし,物指,分度器等の使用を正確ならしむ,また測定値の処理を指導す)」,「図形の描き方(正確なる図形の描き方を指導し,その基本的性質に親しましむ,また種々の曲線を描かしめ,図形の観念を豊富ならしむ)」,「図形の合同(直線と論理とを一体として図形の合同に関する観念を明確ならしむ)」,「図形の対称と回転(図形の対称,回転に関する性質を綜合的に取扱い,図形の考察を探からしむ)」をもとにして内容が構成されている。(解題執筆:松浦 武人)

参考文献

  • 中谷太郎著・上垣渉編. 日本数学教育史. 2010
  • 大田邦郎. 昭和17年中学校数学教授要目の「理念」と教科書内容との関連について. 千葉大学教育学部研究紀要. 1985.

中学数学二第一類

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:数学(算数・数学)

文部省は,昭和17年に「中学校,高等女学校数学及理科教授要目」を公表し,数学科の目標を「数学に於ては,数,量,空間を中心として事物現象を考察処理するの能力を錬磨し,数理とその応用との一般を会得せしめ,数理思想を涵養し,国民生活の実践に導き,国運発展の日を挙ぐる資質を啓蒙することを要す」とした。この要目には,算術,代数,幾何の融合,事物現象の考察処理等,我が国の数学教育改造運動の主張が具現化されている。しかし,「数・量・空間を中心として数学を一体たらしむる」ことは困難であるとして,中学校数学は,「数・量」を中心とする「第一類」と,「空間」を中心とする「第二類」の二系統に分類された。この改正要目に基づき,昭和18年と昭和19年に,中学校及び高等女学校用の数学の教科書が発行されている。これらの教科書は,事項についての説明はほとんどなく,一連の問いに対して生徒自身が定理や法則を見つけ出すことを促している点に特徴がある。

『中等数学二 第一類』は,この改訂要目に基づき,杉村欣次郎を中心に編纂された中学校第二学年の「数・量」を中心とした国定教科書であり,改訂要目に示された第二学年第一類の内容と説明(「整式(整式の計算に習熟せしむ)」,「分数式(分数式の計算を授け比例式に意味を明瞭ならしむ)」,「平方と平方根(数の平方を中心として票の作製及びその使用に慣れしむ)」,「二次方程式(二次式の変化を考察せしめ,二次方程式の取り扱いに習熟せしむ)」をもとにして内容が構成されている。(解題執筆:松浦 武人)

参考文献

  • 中谷太郎著・上垣渉編. 日本数学教育史. 2010
  • 大田邦郎. 昭和17年中学校数学教授要目の「理念」と教科書内容との関連について. 千葉大学教育学部研究紀要. 1985.

中等数学二第二類

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:数学(算数・数学)

文部省は,昭和17年に「中学校,高等女学校数学及理科教授要目」を公表し,数学科の目標を「数学に於ては,数,量,空間を中心として事物現象を考察処理するの能力を錬磨し,数理とその応用との一般を会得せしめ,数理思想を涵養し,国民生活の実践に導き,国運発展の日を挙ぐる資質を啓蒙することを要す」とした。この要目には,算術,代数,幾何の融合,事物現象の考察処理等,我が国の数学教育改造運動の主張が具現化されている。しかし,「数・量・空間を中心として数学を一体たらしむる」ことは困難であるとして,中学校数学は,「数・量」を中心とする「第一類」と,「空間」を中心とする「第二類」の二系統に分類された。この改正要目に基づき,昭和18年と昭和19年に,中学校及び高等女学校用の数学の教科書が発行されている。これらの教科書は,事項についての説明はほとんどなく,一連の問いに対して生徒自身が定理や法則を見つけ出すことを促している点に特徴がある。

『中等数学二 第二類』は,この改訂要目に基づき,杉村欣次郎を中心に編纂された中学校第二学年の「空間(図形)」を中心とした国定教科書であり,改訂要目に示された第二学年第二類の内容と説明(「平行と相似(平行と相似とに関する事項を整理しこれを適用して図形の考察を探からしむ)」,「直角三角形(直角三角形の性質を考察し,鋭角の三角函数を導く)」,「円と球(円及び球に関する基本的性質を考察せしむ)」)をもとにして内容が構成されている。(解題執筆:松浦武人)

参考文献

  • 中谷太郎著・上垣渉編. 日本数学教育史.
  • 大田邦郎. 昭和17年中学校数学教授要目の「理念」と教科書内容との関連について. 千葉大学教育学部研究紀要. 1985.

数学中学校用四第一類

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:数学(算数・数学)

文部省は,昭和17年に「中学校,高等女学校数学及理科教授要目」を公表し,数学科の目標を「数学に於ては,数,量,空間を中心として事物現象を考察処理するの能力を錬磨し,数理とその応用との一般を会得せしめ,数理思想を涵養し,国民生活の実践に導き,国運発展の日を挙ぐる資質を啓蒙することを要す」とした。この要目には,算術,代数,幾何の融合,事物現象の考察処理等,我が国の数学教育改造運動の主張が具現化されている。しかし,「数・量・空間を中心として数学を一体たらしむる」ことは困難であるとして,中学校数学は,「数・量」を中心とする「第一類」と,「空間」を中心とする「第二類」の二系統に分類された。この改正要目に基づき,昭和18年と昭和19年に,中学校及び高等女学校用の数学の教科書が発行されている。これらの教科書は,事項についての説明はほとんどなく,一連の問いに対して生徒自身が定理や法則を見つけ出すことを促している点に特徴がある。

『数学中学校用四第一類』は,この改訂要目に基づき,中等学校教科書株式会社から発行された中学校第四学年の「数・量」を中心とした文部省検定教科書である。同時期に,高等女学校用も発行されている。改訂要目に示された第四学年第一類の内容と説明(「個数の処理(有限個のものを分類処理する能力を養う)」,「自然数と級数(自然数の簡単なる性質を考察せしめ,級数に及ぶ)」,「系列の観察処理(一定の法則に従いて無限に生成する数及び図形の考察を行い,極限の観念を導く)」,「連続的変化の考察処理(連続的変化を中心として極限の考察処理を行わしむ)」をもとにして内容が構成されている。(解題執筆:松浦 武人)

参考文献

  • 中谷太郎著・上垣渉編. 日本数学教育史.
  • 大田邦郎. 昭和17年中学校数学教授要目の「理念」と教科書内容との関連について. 千葉大学教育学部研究紀要. 1985.

算数の学習 四学年用 上

時期:現行検定教科書期(1949~) | 教科:数学(算数・数学)

戦後,生活経験中心の教育観に基づく「生活単元学習」が強調され,文部省(現,文部科学省)において作られた教科書である。CIE(民間情報教育局)の指導のもと1949(昭和24)年10月10日に完成。算数を生活に活用する能力や態度の育成をねらっている。学習を児童の生活経験に結びつけるように配慮したことが特色である。例えば「村の人口」では,4桁までの数の読み方,4桁までの加法と減法,棒グラフについて扱っている。「田うえ」では,正方形と長方形(田の形),わり算の意味と計算(苗を束に分ける)を扱っている。しかし,生活問題を扱う学習は,児童の興味・関心,自主性や積極性,計画性を育む上では有効であったといえるが,内容が断片的で系統性がなく,基礎的な練習もおろそかにされたことから,学力低下への批判が高まった。(解題執筆:廣田 朋恵)

参考文献

  • 上田善彦. 終戦直後における算数科教科書の単元構成の特徴と実践への示唆. 総合教育研究センター紀要. 2015.
  • 植田敦三編. 算数教育の理論と実際. 聖文新社, 2010

算数の学習 四学年用 下

時期:現行検定教科書期(1949~) | 教科:数学(算数・数学)

戦後,生活経験中心の教育観に基づく「生活単元学習」が強調され,文部省(現,文部科学省)において作られた教科書である。CIE(民間情報教育局)の指導のもと1949(昭和24)年10月10日に完成。算数を生活に活用する能力や態度の育成をねらっている。学習を児童の生活経験に結びつけるように配慮したことが特色である。例えば「ドッジボールのしかた」では,ドッジボールの練習の仕方を考えるという課題から,円形と方形(コートのつくりかた)を扱っている。「わたくしのからだ」では,体の様子を調べるにはどうすればよいかという課題から,小数の意味と加法・減法,長さ・温度・重さの表し方,折れ線グラフについて扱っている。しかし,生活問題を扱う学習は,児童の興味・関心,自主性や積極性,計画性を育む上では有効であったといえるが,内容が断片的で系統性がなく,基礎的な練習もおろそかにされたことから,学力低下への批判が高まった。(解題執筆:廣田 朋恵)

参考文献

  • 上田善彦. 終戦直後における算数科教科書の単元構成の特徴と実践への示唆. 総合教育研究センター紀要. 2015.
  • 植田敦三編. 算数教育の理論と実際. 聖文新社, 2010

算数の学習 六学年用 上

時期:現行検定教科書期(1949~) | 教科:数学(算数・数学)

戦後,生活経験中心の教育観に基づく「生活単元学習」が強調され,文部省(現,文部科学省)において作られた教科書である。CIE(民間情報教育局)の指導のもと1949(昭和24)年10月10日に完成。算数を生活に活用する能力や態度の育成をねらっている。学習を児童の生活経験に結びつけるように配慮したことが特色である。例えば,「畑の草取り」では,仕事の段取りを算数の舞台に置き,仕事の量を数値化すること,分数の計算の仕方,割合を比で表すことを扱っている。

しかし,生活問題を扱う学習は,児童の興味・関心,自主性や積極性,計画性を育む上では有効であったといえるが,内容が断片的で系統性がなく,基礎的な練習もおろそかにされたことから,学力低下への批判が高まった。(解題執筆:廣田 朋恵)

参考文献

  • 上田善彦. 終戦直後における算数科教科書の単元構成の特徴と実践への示唆. 総合教育研究センター紀要. 2015.
  • 植田敦三編. 算数教育の理論と実際. 聖文新社, 2010

新しい算数 六年 上

時期:現行検定教科書期(1949~) | 教科:数学(算数・数学)

戦後,生活経験中心の教育観に基づく「生活単元学習」が強調され,文部省(現,文部科学省)において作られた教科書である。CIE(民間情報教育局)の指導のもと1949(昭和24)年10月10日に完成。算数を生活に活用する能力や態度の育成をねらっている。学習を児童の生活経験に結びつけるように配慮したことが特色である。さらに,生活単元学習の特徴として1つの教材から複数の領域にまたがった学習内容を同時に行うことが挙げられる。例えば,「でんせん病」では,新聞記事から伝染病患者数と死亡者数の表を提示し,かかりやすい病気を計算で求めて棒グラフに表したり,1番死にやすい病気を割合で表して帯グラフや正方形グラフに表したりする。

しかし,生活問題を扱う学習は,児童の興味・関心,自主性や積極性,計画性を育む上では有効であったといえるが,内容が断片的で系統性がなく,基礎的な練習もおろそかにされたことから,学力低下への批判が高まった。(解題執筆:廣田 朋恵)

参考文献

  • 上田善彦. 終戦直後における算数科教科書の単元構成の特徴と実践への示唆. 総合教育研究センター紀要. 2015.
  • 植田敦三編. 算数教育の理論と実際. 聖文新社, 2010

化学入門 初編

時期:学制実施以前(江戸~1872) | 教科:理科(科学)

『化学入門』は1867(慶応3)年に竹原平次郎によって書かれた化学教科書である。『化学入門』は日本で最初にヨーロッパ式の元素記号を導入した本であるといわれている(寺島,1993)。

本書では,「非金属之部」と「金属之部」に分けて,元素を紹介しており,ヨーロッパ式の元素記号のほかに,英語の読みに漢字が当てられ,窒素や酸素など,当時から知られていたと思われる元素については,日本語でも表記している。「非金属之部」では,窒素,酸素などには日本語でも表記されているものの,ホウ素やヨウ素には,日本語での表記はしていない。「金属之部」では,金(黄金)や銀などには日本語でも表記しているものの,ロジウムやパラジウムなどには日本語での表記はしていない。また,現在では元素記号として認められていないDoやEなどが含まれていたり,ヘリウムなど,現在認められている元素記号がみられないといったように,周期律の考えが反映されていないことが伺われる。(解題執筆:野田 順平)

参考文献

  • 寺島慶一. マグネシウムーその誕生とおいたちー. 表面技術. 1993. Vol.44, No.11, pp.903-911.

天変地異

時期:学制実施以前(江戸~1872) | 教科:理科(理数(往来物),自然,算術,理科など)

明治元年に出版された,一般向けの啓蒙書である。同時に,1872(明治5)年の文部省「小学教則」の下等小学5級(現在の小学2年後半)の「読本読方」のテキストとしても例示されており,かなり普及したと考えられている(膽吹,2010)。

内容は「雷避の柱の事」「地震の事」「彗星の事」「虹霓の事」「九日同時に出たる事」「三月並び照す事」「流星並び火の玉の事」「陰火の事」という8項目によって構成されている。例えば,「雷避の柱の事」では,静電気に関する説明には,静電気に関する実験の図が含まれている。この静電気に関する実験は,物体を紙で擦り,静電気による力によって物体を動かすという,現在の理科教科書でもみられるような実験である。(解題執筆:小幡 篤次郎)

参考文献

  • 膽吹覚. 福井大学附属図書館所蔵の古典籍(4)明治初期の教育稀覯書、小幡篤次郎『天変地異』. 福井大学附属図書館報 図書館forum. 2010. No.7, pp.4-6

智環啓蒙

時期:学制実施以前(江戸~1872) | 教科:理科(生物・博物)

『智環啓蒙』はJames Leggeの著書を翻訳したものである。1856(安政3)年に香港で翻訳された『智環啓蒙』は日本に持ち込まれ,沼津学校においても用いられた(遠藤,2000)。

内容は,生物(例えば,第一篇)や人体(例えば,第二篇)に関するものの他にも,飲食(第三篇)や服飾(第四編)といった西洋社会に関するものも含まれている。また,沼津学校で用いられていた『智環啓蒙』は,全て漢文で書かれており,香港で翻訳された『智環啓蒙』に訓点を付して刊行したものであると考えられる。

また,『智環啓蒙』には,『智環啓蒙塾課初歩』や『智環啓蒙和解』など複数の版種が存在しており,それぞれの版種が互いにどう影響を与えているのかといった議論も交わされている(吉田,1968)。(解題執筆:野田 順平)

参考文献

  • 遠藤智夫. 『改正増補 英和対訳袖珍辞書』明治二年刊と沼津学校刊行本の調査と考察:蔵版を中心に. 英学史研究. 2000. No.33, pp.168-182
  • 吉田東朔. "『智環啓蒙』と『啓蒙智慧之環』". 近代語研究 第二集. 武蔵野書院, 1968

訓蒙窮理図解 ※巻の一のみ所蔵

時期:学制実施以前(江戸~1872) | 教科:理科(物理)

『訓蒙窮理図解』は,1868(明治元)年に福沢諭吉によって著された。全ての漢字にルビを付したり,内容に関する図を示したりして,大衆や子どもを対象とした科学読み物であった。そして,1873(明治5)年には,文部省の「小学教則」において,下等小学の「理学輪講」用の教科書として取り上げられた(伊藤,2011)。

内容としては,「温気の事」「空気の事」など,物理を中心に挙げられており,物理の他にも「雲雨の事」「四季の事」といった大衆を意識した内容が含まれている。

本書が出版されて以降,1873(明治5)年から1875(明治7)年にかけて「窮理熱」と呼ばれる科学入門書の一大ブームが起きたと指摘されており,『訓蒙窮理図解』による影響について,広く評価がなされている(例えば,高瀬,1988)。(解題執筆:野田 順平)

参考文献

  • 伊藤博. 教育史から見た幕末期から明治初期の教育. 大手前大学論集. 2011. No.12, pp.17-32
  • 高瀬一男. 地域教育からみた福沢諭吉 訓蒙窮理図解:福沢諭吉の理科教育観の一面. 茨城大学教育学部教育研究所紀要. 1988. No.20, pp.89-100

改暦辧

時期:検定制度実施以前(1873~1885) | 教科:理科(天文学)

本書は1873(明治6)年に出版されたものである。政府は(明治5)年に改暦詔書を出し,日本は太陰太陽暦から新たにグレゴリオ暦を採用した。布告から施行までの期間が非常に短く,当時の民衆は新しい暦の仕組みを理解できないままであった。このとき出版された本書は,新しい暦について内容が平易に分かりやすく解説されていたことから人々にすぐ受け入れられた。

本書では,地球が太陽の周囲を1年かけて周ることなど,地学の基礎的知識の紹介を交えながら太陽暦の考え方について説明されているだけでなく,それぞれの月,曜日の英語表現や時計の読み方など,生活に関することも説明されており,教養の面でも優れた本であった。また,新しい暦の導入について懐疑的な人間は愚かな人間であり,日頃より読むべき書物を読んでいる人間は新しい暦を受け入れるだろうと,福澤諭吉自身はグレゴリオ暦になることを良いこととして扱っている。(解題執筆:道園 和季)

初学人身窮理

時期:検定制度実施以前(1873~1885) | 教科:理科(修身)

『初学人身窮理』は,アメリカの医師Calvin Cutterの書物を松山棟庵と森下岩楠が翻訳した明治初期の人体生理の小学校用教科書である。同時期には文部省発行の科学教科書が広く用いられていた(畑中,2009)が,本書は民間発行の教科書である。

内容は,骨格や内臓の構造や働きなど,人体について言及されており,肋骨や歯,眼球などには図も示されている。また,第17章には「看病人ノ心得ベキ事」として,人体の他にも啓蒙に近いような内容が含まれている。

また,小学校用の教科書であることを考慮して,平易な言葉を用いて,専門的な用語の漢字にはふり仮名を振るといった配慮がなされている。内容に関しても,子どもが怖がらないよう,骨格の図に関しては巻末にまとめられていたり,生殖器を取り上げないといった配慮がなされている。(解題執筆:野田 順平)

参考文献

  • 畑中忠雄. 若い先生のための理科教育概論. 東洋館出版社, 2009, p.14

物理全志 巻之一

時期:検定制度実施以前(1873~1885) | 教科:理科(物理)

1875(明治8)年に出版された物理の専門書であり,全10巻中,本書は第1巻にあたる。当時は,日本独自の教科書といえるものではなく,物理全志も,元はフランスの物理学教師ガノーやアメリカのカッケンボスが記したそれぞれの物理学の教科書を翻訳,参考にして作られている(赤羽,2004)。

内容としては,物理の専門書であるため,現在は高校物理でほとんど扱われていない充填性といった物性についても示されている。しかし,扱っている内容の多くは,慣性(本書の中では習慣性)や万有引力といった,現在,物理の教科書と同様の現象や規則性が記載されており,取り扱っている内容の枠組みは異なるが,明治初期から現代の物理教育の礎が築かれていたことを読み取ることができる。(解題執筆:道園 和季)

参考文献

  • 赤羽明. 明治期における物理,化学,生物,博物から理科への転換―『小学校生徒用物理書』と比較して―. 埼玉医科大学医学基礎部門紀要. 2004. No.10, pp.17-28

博物教授法 文部省新刊小学懸図 巻之一

時期:検定制度実施以前(1873~1885) | 教科:理科(生物・博物)

1876(明治9)年に出版された,文部省が小学校教材としていた「博物図」という掛軸式の教材の注解本,指導書である。本書は第一巻にあたる「植物之部」であり,第二巻は「獣類之部・鳥類之部」,死去した島次三郎に代わり井出猪之助が構成した第三巻は「爬虫魚類之部・多節類之部」となっている。博物図は,植物の絵と名前のみを記しているが,本書は,それらに加えて,植物の外見的特徴をまとめたうえで,分類名の理由も記載されている。

内容としては,葉の形や根の形,花の形について,それぞれの拡大図が示され細かい特徴が述べられている。また,果実やキノコ類は,一覧が示されたうえで,それぞれの色や味について書かれている。一方で,総括においては,分類名を教授した後になぜその分類になるのかを理解させる,といった教授の際の注意点などが述べられている。(解題執筆:道園 和季)

羅斯珂氏化学 巻ニ

時期:検定制度実施以前(1873~1885) | 教科:理科(科学)

1876(明治9)年に発行された日本初の化学の教科書であり,本書は全10巻のうち2巻目にあたる。東京開成学校(東京大学の前身)の助手であった茂木春太が,英国のロスコー著である「Lessons in elementary chemistry」を翻訳し,中学校・師範学校用に発行された。

内容としては,第1巻で紹介された水及び,構成元素である酸素と水素に続いて(国立公文図書館),窒素や炭素といった主要な元素について取り扱っている(国立公文図書館)。それぞれの元素の採取方法とその実験器具,比重や化学的性質に加え,匂いや色,どのような物質に含まれているか(窒素は大気,炭素はロウソクなど)を紹介している。また,酸化物などの化合物については,現在の教科書と同様に,粒子モデルを用いて化学式が示されており,当時から教科書にモデルが活用されていたことが分かる。(解題執筆:道園 和季)

参考文献

  • 羅斯珂(ロスコー). 化学.第1巻. 東京大学理学部. 1883 (http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/830498/13 (閲覧:2016.10.31))

通常植物 全

時期:検定制度実施以前(1873~1885) | 教科:理科(植物)

1882(明治15)年,小学生を対象に,一般的な植物の名前や性質などを理解させるために作られた教科書である。「理科」成立前の「博物教育」ではあるが,博物学というより分類学的に比較観察を行わせ,整理する能力を身につけることを目的としていた(北村,2006)

内容としては,それぞれの植物について①種類(同種の植物を紹介),②部分(色,穂の特徴など),③性質(生息地や実る時期),④効用(調理の仕方等)が植物の絵とともに紹介されているが,あくまで辞典的なものであり,現在の教科書で扱われている自然認識や形式陶冶的な面はあまり見られない。また,本書は,教科書でありつつも,教師の裁量に委ねられるところが大きく,本書の中で扱われている植物のほかに,身近であると思われる植物などがあれば積極的に扱い,また必要でないと思ったものは取捨するべきと書かれている。(解題執筆:道園 和季)

参考文献

  • 北村静一. "理科教科書". 近代日本の教科書のあゆみ―明治期から現代まで. 滋賀大学附属図書館(編). サンライズ出版, 2006, pp.59-66

鉱物学初歩

時期:検定制度実施以前(1873~1885) | 教科:理科(地学・鉱物)

明治政府は文明開化に伴い,欧米にならった近代国家建設のために自然科学教育に重きを置き,1872(明治5)年に頒布した「学制」で,小学校で「博物」という教科を設けた。そして,1879(明治12)年に「教育令」が出されたころには,物理・科学教育をおしのけて博物教育が強調されはじめ,世間に広く浸透していくこととなった。本書はそのような時代のなかで,当時東京大学理学部講師であった小藤文次郎が1885(明治18)年に執筆したものである。小藤は,1856(安政3)年に現在の島根県である石見国に生まれ,1877年に東京大学理学部地質学科の第一期生として進学し,1879年に最初の卒業生となった。その後,ドイツ留学を経て,1884年に東京大学理学部講師となった。生涯に渡って地質学の発展に貢献をしたことから,岩石学の父と称される。小藤は本書の冒頭で「今日の正は明日の邪かもしれない」と自然科学がめまぐるしく発展している様子を表現している。鉱物の種類や特徴について詳細に述べられており,当時の博物教育を支えた教科書として評価されている。(解題執筆:髙見 健太)

参考文献

  • 矢島道子. 小藤文次郎―日本の地質学・岩石学の父. 地球科學. 2007. Vol.61, No.2, pp.155-159
  • 北村静一. "理科教科書". 近代日本の教科書のあゆみ―明治期から現代まで. 滋賀大学附属図書館(編). サンライズ出版, 2006, pp.59-66

新撰理科書 ※巻一,巻三のみ所蔵

時期:検定教科書期(1886~1902) | 教科:理科(理科)

1884(明治19)年に「小学校令」と「小学校ノ学科及其程度」が示された。小学校は義務制の尋常小学校4年,高等小学校4年とされ,それまで「博物」「物理」「化学」「生理」と分けられていたものがまとめて「理科」となった。今日の「理科」という教科名が誕生したのはこのときである。

また,この時代の大きな変化として,教科書が検定制になり,国家の統制を受けるようになったことが挙げられる。「小学校ノ学科及其程度」で教えるべき事物や現象の名前が記されており,理科教科書はこれにならい作成された。理科教科書は5つの大きな教科書会社から出版されているが,理科の誕生や検定制度の導入にともなう転換への過渡期ということもあり,内容の取扱い方や分類方法は,各書異なっている。そのなかの一冊である本書は,理科が誕生した初期のすがたを高島の執筆から垣間見ることのできるものとなっている。のちに小学校教則大綱に対応するものとして「明治理科書」が出版されているが,本書がそのベースになっているともいわれ,理科誕生初期を支えた一冊である。(解題執筆:髙見 健太)

参考文献

  • 古谷庫造・山本修一. 戦後の教科教育50年 理科教育. 創大教育研究. 1996. No.5, pp.73-83
  • 赤羽明. 明治期における物理,化学,生物,博物から理科への転換―『小学校生徒用物理書』と比較して―. 埼玉医科大学医学基礎部門紀要. 2004. No.10, pp.17-28
  • 北村静一. "理科教科書". 近代日本の教科書のあゆみ―明治期から現代まで. 滋賀大学附属図書館(編). サンライズ出版, 2006, pp.59-66

近世動物学教科書

時期:検定教科書期(1886~1902) | 教科:理科(動物)

本書は動物学者であった丘浅次郎によって執筆されたものである。丘は1868(明治元)年に現在の静岡県に生まれ,1889(明治19)年に東京帝国大学動物学科(選科)を卒業した。その後の1891(明治21)年から3年間ドイツ留学をし,進化理論の権威であったアウグスト・ヴァイスマンらに師事し,研究に励んだ。帰国後となる1895(明治25)年に山口高等学校教授となり,大衆向けの進化論解説書である「進化論講話」を執筆するなど,我が国での進化論の普及に貢献した。

丘が執筆した生物学教科書は「生物学講話」や「最新遺伝学」をはじめとして数多く,本書もそのなかの一冊である。日本における進化論の第一人者でありながら,初学者でも分かりやすいような平易な文章で記されており,読み手の評判は上々であった。進化論が大衆に普及していったのは,このような丘の解説があったからこそであるといっても過言ではない。(解題執筆:髙見 健太)

参考文献

  • 廣井敏男・富樫裕. 日本における進化論の受容と展開―丘浅次郎の場合―. 東京経済大学人文自然科学論集. 2010. No.129, pp.173-195
  • 小澤萬記. 丘浅次郎の進化論. 高知大学学術研究報告.人文科学. 1997. Vol.46, pp.167-176

小学理科 ※巻三のみ所蔵

時期:検定教科書期(1886~1902) | 教科:理科(理科)

1891(明治24)年に「小学校教則大綱」が決まり,理科は天然物や自然現象の観察や生活への応用に重きが置かれ,それまでの学術専門的なものとは一線を画している。また,この大綱はそれまで内容について規定していた「小学校ノ学科及其程度」(1886)と比べて拘束性があったため,大綱で定められた内容と授業時間のバランスを考えたときに,内容の吟味・減少は避けられない課題の一つとして教科書を作成するものたちを悩ませていた。この時代に出版されたものは教科書会社編のものが多く,数々の制約があるなかで,それぞれが個性を出すことに奮起したあとがみられる。

本書はそのなかの一冊として出版されたものである。まず開いてみて驚くことは,見開きがカラーの石版画であることである。それまでと比べて印刷技術も進歩し,近代化しつつある様子がうかがえる。教える内容は季節ごとに区切られており,日常でみられる現象に重きを置きつつ現在の物理・化学・生物・地学の各領域に渡り幅広く述べられていることが分かる。(解題執筆:髙見 健太)

参考文献

  • 赤羽明. 明治期における物理,化学,生物,博物から理科への転換―『小学校生徒用物理書』と比較して―. 埼玉医科大学医学基礎部門紀要. 2004. No.10, pp.17-28
  • 北村静一. "理科教科書". 近代日本の教科書のあゆみ―明治期から現代まで. 滋賀大学附属図書館(編). サンライズ出版, 2006, pp.59-66

尋常小学理科書 ※第五学年,第六学年のみ所蔵

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:理科(理科)

本書は,1911(明治44)年に出版された国定理科教科書である。それまでの教科書は検定教科書であったが, 1902(明治35)年に起きた不正による教科書疑獄事件をきっかけにして教科書が国定化されるに至った。この間の1907(明治40)年には尋常小学校の義務年限が4年から6年に延長され,それまで高等小学校で行われていた理科を全国民が受けるようになった。したがって,本書は義務教育最初の国定理科教科書でもある。当時の教育思想として,理科は自然の事物に直接触れて学ぶものであると考えられていたため,児童用の教科書が禁止されていた時期もあった。そのため,教師は民間の自然に関する書物を選定し,児童には筆記帳などの傍用図書を与えて学習させていたが,その実情に苦慮した文部省が,児童用教科書である本書の発行を決めた。しかしながら,その内容は「小学校令施行規則」に従った知識・技能の詰め込み型で,「松」「牛」「たんぽぽ」といった単語を示して,絵と解説が書いてある程度の辞典のような仕上がりで,当時の教育思想を満たすものとしては程遠いものであった。(解題執筆:髙見 健太)

参考文献

  • 東田充弘. "理科・科学教育". 近代日本の教科書のあゆみ―明治期から現代まで. 滋賀大学附属図書館(編). サンライズ出版, 2006, pp.135-142
  • 北村静一. "理科教科書". 近代日本の教科書のあゆみ―明治期から現代まで. 滋賀大学附属図書館(編). サンライズ出版, 2006, pp.59-66

新制化学教科書 下巻

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:理科(科学)

1929(昭和4)年,東京開成館より出版された化学の国定教科書である。理学博士で教科書の執筆経験が豊富な亀高徳平により1919(大正8)年に書き上げられ,その後3回の改定が重ねられ本版に至った。この時期の化学教科書の特徴としては,内容や表現がそれまでのものと比べてわかりやすくなっていることが挙げられる(大八木・饗庭,1963)。

その内容は,化学工業的な視点が非常に強いものになっている。例えば,第3章「酸及びアルカリ工業」では,物質の性質よりもその工業的な製法に多くのページを割いている。これは時代背景として,隣国ロシアとの散発的な衝突を経て,戦争に勝つための軍事力・科学力が必要であるという認識が強くなっていたことがあると考えられる。

工業的な製法の解説として,本教科書46ページでは製鉄の項目で八幡製鉄所を写真付きで紹介しているものの,多くの章において製法の紹介は写真ではなく図によるものがほとんどである。これは当時の日本には大規模な生産設備がそれほど存在していなかったことによる。このような背景から,教える側も教わる側もこれらの学習は空想の世界の話に感じられたのではないかという指摘も存在する(村上,1999)。(解題執筆:中村 大輝)

参考文献

  • 大八木義彦・饗庭三泰. 近代におけるわが国の初等化学教育の歴史 (II). 化学教育. 1963. Vol.11, No.2, pp.66-72
  • 村上和雄. 大正時代の中学校・師範学校の化学教科書に関する研究. 東京家政大学博物館紀要. 1999. 第4集, pp.119-132

初等科理科 一

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:理科(理科)

1942(昭和17)年,東京書籍より出版された初等科理科の国定教科書である。初等科理科とは国民学校第4学年以上で理科一般として扱われた教科で,第一巻である本書は国民学校第4年を対象としている。初等科理科のねらいとしては,(1)生物環境や季節との関係を調べて生態を重視する,2)軍国生活と関連があるが,でん粉とり,メッキなど生活の重視がある,3)イモ植え,種まき,タコ作りの作業を通して技能・態度の育成をはかる,などが挙げられる(北村,2006)。

本書の目録をみると,田んぼや稲作に関するもの,虫・貝・鳥などとその周囲を取り巻く環境や,紙玉鉄砲といった遊びが題材として取り扱われていることが分かる。これは先に挙げた初等科理科のねらい(1)及び(3)と対応している。各章の終わりには追加の実験・観察課題が設定されており,その章で学んだ内容を基に児童が探究を行えるよう配慮されている。(解題執筆:中村 大輝)

参考文献

  • 北村静一. "理科教科書". 近代日本の教科書のあゆみ―明治期から現代まで. 滋賀大学附属図書館(編). サンライズ出版, 2006, p.59-66

物象中学校用 二

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:理科(理科)

1943(昭和18)年,中等学校教科書株式会社より出版された物象の国定教科書である。本書は,1929(昭和4)年に旧制中学校の理科が物象と生物の2本立てに改められたことを受けて作成されたものである。物象の内容は現在の物理と化学に該当し,事物・現象を扱うことからこの名称となった。

各章の構成は,「課題設定→実験方法→考察課題→結果の解説」からなる。考察課題において生徒に推論させる場面を頻繁に設けつつ,章や節の終わりでは実験結果についての解説が掲載されており,誰もが理解できるよう配慮されている。このような構成について畑中(2009)は「戦時中というと,とかく教育の沈滞した面が強調されるが,理科教育の面では,自然の観察や実験を重視する,児童・生徒の発想や自発的な活動,創意工夫を尊重するという理科の本質を踏まえた理科教育が,ここから始まったと言ってもいいくらいである」と述べている。このように,戦火の中で軍事色が強くなるまでは,戦時中の理科教育は児童・生徒が中心に据えられた内容であった。(解題執筆:中村 大輝)

参考文献

  • 畑中忠雄. 若い先生のための理科教育概論. 東洋館出版社, 2009, p.19

理科の本 第六学年用

時期:文部省著作教科書期(1946~1948) | 教科:理科(理科)

1948(昭和23)年,東京書籍より出版された新制小学校理科の検定教科書である。本書は,1948(昭和23)年に教科書の検定規則が公布され,小学校教科書が国定から検定に戻ったことを受けて作成された。その内容は,1947(昭和22)年に文部省が公表した『学習指導要領 理科篇(試案)』に基づいている。ここでは理科教育の方針について,経験主義的な思想が強調されており,本書も身近な事物・現象を題材に問題解決的学習が行われることを目指している。各節は,「課題設定→実験・観察→探究課題」の流れに沿って構成されており,最後にはオープンエンド型の質問が多く取り入れられている。また,最終章では,各自が研究課題を設定して成果をまとめることを求めるなど,児童の主体的な取り組みを促す項目が多く見られる。しかしその後になって,東田(2006)の指摘する通り,自然科学の体系との関連づけの弱さが批判されるようになった。(解題執筆:中村 大輝)

参考文献

  • 東田充弘. "理科・科学教育". 近代日本の教科書のあゆみ―明治期から現代まで. 滋賀大学附属図書館(編). サンライズ出版, 2006, pp.135-142

小学生の科学 第6学年用

時期:現行検定教科書期(1949~) | 教科:理科(理科)

1949(昭和24)年,東京書籍より出版された新制小学校理科の検定教科書である。本書は,1948(昭和23)年に教科書の検定規則が公布され,小学校教科書が国定から検定に戻ったことを受けて作成された。その内容は,1947(昭和22)年に文部省が公表した『学習指導要領 理科篇(試案)』に基づいている。学習指導要領に示された理科教育の方針には経験主義的な思想が強く反映されており,本書も身近な事物・現象を題材に児童が主体的に考えていくことを目指している。内容構成は,各章で一貫したテーマを設定し,各節において様々な視点から豊富なデータを示しながら,考える材料を提供している。本書は初めての色刷り理科教科書であり,科学読み物であった。しかしながら,東田(2006)の指摘する通り,児童の活動に結びつけるためには,教師の実力が必要であるという限界を持っていた。やがて,生活理科は生活から材料を取った雑学理科であるとの批判が起こった。(解題執筆:中村 大輝)

参考文献

  • 東田充弘. "理科・科学教育". 近代日本の教科書のあゆみ―明治期から現代まで. 滋賀大学附属図書館(編). サンライズ出版, 2006, pp.135-142

幼童絵解運動養生論説示図

時期:検定制度実施以前(1873~1885) | 教科:体育(体育)

本図は,「文部省製本所発行記」という朱印が押され,「幼童家庭教育用絵画」とも呼ばれている「教育錦絵」の中の二枚組の図である。本図の作者は,三代歌川豊国の門人であり,幕末から明治にかけて活躍した絵師の曜斎国輝(1829~1874年)である。

二枚の図には,15人の男女児が遊んでいる様子が描かれている。遊んでいる児童の上には,「健康」に関する詞書きが記載されている(左図が11行,右図が16行)。詞書きの中には,つぎのようなテキストがある。学校での授業の「休の時間」には,「或ハ綱渡り或ハブランコ或ハ輪を廻鞠を投げ四肢を運動し身体を健康にす是をジムナスチックといふ」。

明治6(1873)年に作成されたと思われる本図に描かれている児童の遊びは日本の伝統的な遊びである。しかし,詞書きにおける「ジムナスチック」という語が示しているように,本図は欧米の新しい知識を伝えるという性格をも有していると言えよう。(解題執筆:楠戸 一彦)

学校体操寿語録

時期:検定教科書期(1886~1902) | 教科:体育(体育)

この錦絵は,体操科の授業における体操に関して38の図から構成されている絵双六である。振り出しと上がりの図を除いた図には,体操をする一人の男児が描かれ,人物の両側には運動に関する詞書きが書かれている。左下欄外に「画工及出版人」として記載されている「荒川藤兵衛」は,多数の錦絵や浮世絵を出した画工・編集人・出版人であり,明治28(1895)年に死去している。

本双六は振り出し(「くり出し」)の「生徒排列之図」に始まる。そして,「徒手」の図が「第一節」から「第廿節」まで,「亜鈴」の図が「第一節」から「第十五節」まで続く。上がりは3名の男児による「球竿」を使った体操の図である。

このような学校での体操授業を題材にした絵双六は「教育双六」とも呼ばれ,「幼童絵解運動養生論説示図」のような「教育錦絵」と並んで,家庭教育用に使用され,児童が学校で習得すべき事を家庭で遊びながら学べられるようにしたものである。(解題執筆:楠戸 一彦)

教育幼稚遊戯寿古録

時期:検定教科書期(1886~1902) | 教科:体育(体育)

この錦絵は,幼児の遊戯に関する8コマ32図から構成されている絵双六である。32の図には男児と女児による江戸時代以来の伝統的な遊戯が描かれ,各々の遊戯の名称が書かれている。左下欄外には出版人として「松野米次郎」の名前が読み取れるが,彼の経歴については不明である。

絵双六は,「振り出し」から「上がり」まで,サイコロを振って,出た目にしたがってコマを進めて「上がり」を目指す複数名で遊ぶゲームである。本双六には全部で32の遊戯が描かれている。遊戯の中には,「書画」や「福わらひ」のような室内遊戯だけでなく,「おひはね」「雪ころがし」「おにごっこ」「石けり」「めかくしおに」「かごめかごめ」「かくれんぼ」「おてだま」「まりつき」などのような「運動遊戯」も描かれている。

このような絵双六は「教育双六」とも呼ばれ,「幼童絵解運動養生論説示図」のような「教育錦絵」と並んで,当時の幼児の遊戯の様子を知ることができる貴重な視覚資料である。(解題執筆:楠戸 一彦)

改正普通体操法

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:体育(体育)

本書は,表題頁が示しているように,中学校及び師範学校の生徒のための「教科用書」である。執筆者の坪井は,体操伝習所・東京高等師範学校・東京体操音楽学校で教員を務め,我が国の近代学校体育の成立に大きな影響を与えた人物である。他方,田中は体操伝習所の第一回卒業生であり,卒業後は伝習所に勤務し,坪井を助けたが,本書出版当時は眼科医であった。

本書は14の章と,附録(運動機略図)から構成されている。「体操準備」「整容法」「呼吸運動」「美容術」「徒手体操」「亜鈴体操」「球竿体操」「棍棒体操」「木環体操」「豆?体操」。これらの徒手運動は,体操伝習所においてリーランドが伝えた「普通体操」(=軽体操)であった。

本書は体操伝習所から刊行された『新撰体操書』と『新制体操書』を参考にしており,文部省から明治20(1887)年に出版され,その後明治31(1898)年,明治36(1903)年に改正版が刊行された。本書は明治期の「普通体操」の全国的な普及に大きく貢献した。(解題執筆:楠戸 一彦)

小学校体操教科書

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:体育(体育)

本書は,表題頁に明示されているように,「尋常小学校及高等小学校体操科教員用」教科書である。執筆者の坪井は体操伝習所・東京高等師範学校・東京音楽学校の教師を務め,明治期の学校体育に大きな影響を与えた人物である。可児も東京高等師範学校の教員を務め,坪井を助けた。

本書は次の9章から構成されている。第一章の「体操教授概論」では,体操科の目的や教材あるいは体操教授の形式などが論じられている。第二章の「体操科の設備」は運動場・服装・用具を,第三章の「体操科の管理」は時間と組の「編成」を,第四章は「教授上の注意」を論じている。第五章は「体操準備」(整列や行進など)を,第六章は「準備運動」を,第七章は「基本姿勢」を,第八章は「各個演習」を,そして第九章は「連続演習」を取り扱っている。

本書は,「緒言」に述べられているように,文部省の「体操遊戯調査会調査報告書」(明治38(1905)年)の主旨に従って編纂されたものである。第五章から九章までの内容が全体の90%を越えており,この意味では体操の実技指導に重点をおいた教科書である。(解題執筆:楠戸 一彦)

体操科教科書

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:体育(体育)

本書は,「男女師範学校に於ける体操科の理論」の教授を目的とした生徒用教科書である。著者の宮田は東京女子高等師範学校の助教授であり,大正15(1926)年の「学校体操教授要目」の全面改正の際の調査委員であった。

「改正学校体操教授要目の主旨を基本として編纂」されている本書は,4篇17章で構成されている。第一編「総論」は「学校体育」の意義(1章)と,「体操科の本領」(2章)から構成されている。第二篇「体操科の材料」は,体操(1章)・遊戯及び競技(2章)・学校教練(3章)を取り扱っている。第三篇「運動生理」では,血液(1章)・血液循環(2章)・呼吸(3章)・消化及び吸収(4章)・骨格(5章)・関節(6章)・筋肉(7章)・神経系統(8章)が運動との関係で論じられている。第四篇「体操科教授」は,「体操科教授の本領」「体操科教授上の諸要点」「体操教授の段階と材料配合」「体操科教授案」の4章から構成されている。

本書では,「実際教授」に役立てるために「運動各論及び指導上の注意」に重点が置かれており,「運動生理,解剖は必要なる事項」に止められている。(解題執筆:楠戸 一彦)

改訂体操科教科書

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:体育(体育)

本書は,「男女師範学校に於ける体操科の理論」の教授を目的とした生徒用教科書である。著者の宮田は東京女子高等師範学校の助教授であり,大正15(1926)年の「学校体操教授要目」の全面改正の際の調査委員であった。

本書は,前年(昭和3(1928)年)に出版された『体操科教科書』の改訂版であるが,著作の構成と内容に関してはほぼ同じである。相違点は,次の箇所だけである。(1)「第二篇 体操科の材料」「第一章 体操」「第六項 平均運動」に「十二 膝立歩」が新に加わっている。(2)「第二篇 体操科の材料」「第二章 遊戯及び競技」の構成が,「第一節 遊戯の目的」(競争遊戯,唱歌遊戯,行進遊戯)と「第二節競技の目的」(走技・跳技・及投技,球技)に整理された。(3)「第四篇 体操科教授」「第四章 体操科教授案」「第五節 複式教授案及び略式教授案」が,新に尋常小学校の第一学年から第六学年に応じて例示されている。

「実際教授」に役立てるために「運動各論及び指導上の注意」に重点が置かれており,「運動生理,解剖は必要なる事項」に止められている点では,改訂前と変更はない。但し,前年版以降「自己の反省と熱し成る各位の希望と実際教授にあたつた方々の批評」を基に,改訂増補がなされている。(解題執筆:楠戸 一彦)

師範学校体育教科書 巻一

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:体育(体育)

本書は師範学校の体操科に関する生徒用教科書である。執筆者はいずれも東京高等師範学校体育科の教授であり,大正15(1926)年に改正された「学校体操教授要目」作成に中心的役割を果たした人物である。

二巻本の第一巻である本書は,3篇9章から構成されている。第一篇「緒論」は「学校体育の意義」,「学校体育の効果」,「師範学校体操科教授の要旨」,「体操科の教材」に関する4章で構成されている。第二篇「教材各論」は「体操」(下肢・頸・上肢・胸・懸垂・平均・体側・腹・背・跳躍・倒立及転回・呼吸)と,「遊戯及び球技」(競争遊戯・走跳投技及び投技・球技)に関する2章で構成されている。第三篇「師範生の課外運動」は「体操」,「遊技及び競技」,「剣道及び柔道並其の他の運動」を論じている。

大正15(1926)年5月に全面的に改正された「学校体操教授要目」が公布された。大正2(1913)年の教授要目と比較すると,特に「遊戯」領域が「遊戯及び球技」となり,スポーツ的教材が大幅に取り入れられた。本書は,このような全面改正された「教授要目」に対応する内容となっている。(解題執筆:楠戸 一彦)

師範学校体育教科書 巻二

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:体育(体育)

本書は師範学校の体操科に関する生徒用教科書である。執筆者はいずれも東京高等師範学校体育科の教授であり,大正15(1926)年に改正された「学校体操教授要目」作成に中心的役割を果たした人物である。

二巻本の第二巻である本書は,3篇7章から構成されている。第一篇「緒論」では,第一巻の「学校体育」ではなく,「体操」「教練」「遊戯」「競技」の「意義と特質」が論じられている。第二篇「教材各論」の「第一章 体操」では,全部で11の運動が取り上げられており,第一巻における「頸の運動」が削除されている。また,「第二章 遊戯及び球技」は第一巻と同じ内容である。第三篇は第一巻(「師範生の課外運動」)とは内容が異なり,「体育運動実行上の注意」(「運動と衛生」と「体育運動と服装」)が論じられている。

第二巻も第一巻と同様に,大正15(1926)年5月に全面的に改正された「学校体操教授要目」に準拠した内容となっている。(解題執筆:楠戸 一彦)

師範学校体操教科書 全

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:体育(体育)

本書は師範学校の体操科における生徒用教科書である。編集者である「師範学校体育研究会」の詳細は不明である。

本書は,3篇17章から構成されている。第一篇「総論」では,体育の意義と種類,学校体育と体操科,体操科の目的と材料が論じられている。第二篇「体操科の材料」では,体操(目的と分類,12の運動),遊戯(競争遊戯,唱歌遊戯,行進遊戯),競技(走技,跳技,投技,球技),そして教練が論じられている。第三篇「体操科教授法」では,教授の本領と方法及び諸要素,体操科における教授の段階,教材の選択及配合,教授案,教授上の注意。最後に,附として「小学校体操科指導案例」と「小学校教材配当表」が掲載されている。

「緒言」で述べられているように,大正15(1926)年に公示された「改正学校体操教授要目」に準拠している本書の特徴は「体操の目的と要領」を明示し,球技の規則を抜粋し,陸上競技の要領を詳述している点にある。特に「体操」に関しては,12の運動の各々について,目的・要領・組織・実施上の注意・材料が詳細に論じられている。(解題執筆:楠戸 一彦)

師範学校体育教科書 第二・三学年

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:体育(体育)

本書は,師範学校第二・三学年の体操科に関する生徒用教科書である。執筆者の野口・佐々木・森の三人は,いずれも東京高等師範学校の教員であり,昭和11(1936)年の「学校体操教授要目」改正に重要な役割を果たした人物である。

本書は6篇14章から構成されている。第一篇「緒論」では,体操・教練・遊戯・競技の意義と特質などが論じられている。第二篇「教材各論」では,「体操」と「遊戯及び競技」が取り扱われている。第三篇「体育運動実行上の注意」は「運動と衛生」及び「体育運動と服装」を取り扱っている。第四篇「体育史概論」は体操・走跳投・学校遊戯・学校体操科の歴史を,第五篇「国際オリムピック競技会」は古代オリムピアや近代オリムピック大会そして日本とオリムピック大会を取り扱っている。第六篇は「体力検査」を論じている。

本書は4巻本の「師範学校体育教科書」(第一学年,第二・三学年,第四・五学年(上巻・下巻))の一冊である。これらの教科書は,昭和11年6月に告示された「改正学校体操教授要目」に準拠して作成されたものである。(解題執筆:楠戸 一彦)

師範学校体育教科書 第四・五学年 上巻

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:体育(体育)

本書は,師範学校第四・五学年の体操科に関する生徒用教科書である。執筆者の野口・佐々木・森の三人は,いずれも東京高等師範学校の教員であり,昭和11(1936)年の「学校体操教授要目」改正に重要な役割を果たした人物である。

本書は5篇20章から構成されている。第一篇「緒論」では体育の意義・効果・種類と,小学校体操科の要旨が論じられている。第二篇「教材」では教材の選択と配当,体操及び遊戯・競技の分類が,第三篇「教材各論」では体操と遊戯及競技が,論じられている。第四篇「小学校の教材」では,尋常科と高等科における体操・教練・遊戯及競技・唱歌行進遊戯・課外活動が取り扱われている。第五篇「教授論」は教授時間・体操科教授案の作り方・各種教授案例・体操科教授上の注意を論じている。

本書は4巻本の「師範学校体育教科書」(第一学年,第二・三学年,第四・五学年(上巻・下巻))の一冊である。これらの教科書は,昭和11年6月に告示された「改正学校体操教授要目」に準拠して作成されたものである。(解題執筆:楠戸 一彦)

師範学校体育教科書 第四・五学年 下巻

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:体育(体育)

本書は,師範学校第四・五学年の体操科に関する生徒用教科書である。執筆者の野口・佐々木・森の三人は,いずれも東京高等師範学校の教員であり,昭和11(1936)年の「学校体操教授要目」改正に重要な役割を果たした人物である。

本書は4篇13章から構成されている。第一篇は「教師論」である。第二篇は「体操科の設備」について,「体操場」「遊戯場」(プレーグラウンド)「競技場」を取り扱っている。第三篇では,これらの「競技場の管理」が論じられている。第四篇は「体育に関する法令」について,身体検査・学校体操教授要目・小学校令体操科施行規則・師範学校体操科施行規則・体育運動の振興・全国体育デーなどを取り上げている。

本書は4巻本の「師範学校体育教科書」(第一学年,第二・三学年,第四・五学年(上巻・下巻))の一冊である。これらの教科書は,昭和11年6月に告示された「改正学校体操教授要目」に準拠して作成されたものである。(解題執筆:楠戸 一彦)

改定帝国剣道教本 全

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:体育(教練)

本書は,昭和11(1936)年6月に告示された「学校体操教授要目」において初めて明示された剣道と柔道の「教授要目」に準拠して執筆された教師用及び生徒用の教科書である。執筆者の小川は武徳会武道専門学校の教授を務め,東京高等師範学校の高野佐三郎と共に,教授要目を作成した人物である。

本書は全部で10章から構成されている。第一章「総説」(剣道の意義・目的・効果・修業の心得),第二章「剣道修業上の準備,第三章「基本練習」(基本動作,応用動作),第四章「地稽古」,第五章「試合」,第六章「技の解説」(面技・籠手技・胴技・突技・其他の技),第七章「剣道術理」,第八章「形」,第九章「剣道略史」,第十章「刀剣の話」。これらの内容は,学校体操教授要目において明示された「基本動作」「応用動作」「形」「講話」の内容に厳密に対応するものであった。

剣道及び柔道は昭和6(1931)年に中学校及び男子師範学校において必修教材になっていたにもかかわらず,教師用あるいは生徒用の適切な教科書は刊行されてこなかった。そうした中で,本書は「学校体操教授要目」の内容と精神を最も正確に伝える教科書の一つと言えるであろう。(解題執筆:楠戸 一彦)

師範体育教科書

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:体育(体育)

本書は,男女師範学校本科生徒及び専攻科生徒を対象とした生徒用教科書である。執筆者の東京文理科大学の教授である寺沢と,東京高等師範学校の教授である二宮は,昭和11(1936)年の「学校体操教授要目」改定に大きな影響力を持っていた。

本書は,12章と附録から構成されている。第一章と第二章では,我が国における欧米学校体育導入以後の体育史と,古代ギリシャから第一次世界大戦まで欧米体育史が概説されている。第三章では「小学校体操科教授の目的」が,第四章では「小学校体操科の教材」が,第五章では「各教材の目的並に特徴」が論じられている。第六章から第九章では,教授上諸問題(「教授上の注意事項」「教授細目」「教授案」「教授の方法」)が取り扱われている。第十章は「課外運動」を,第十一章は「体操教授用器械並に器具」を,第十二章は「体育衛生」を論じている。

師範学校の体操科に関する生徒用教科書が数多く出版されているが,本書は「我が国の学校体育」と「欧米体育」の歴史を詳述している点に大きな特徴がある。

なお,「学科(教科)区分」の「教練」における『師範体育教科書』(登録番号:2000041750)と本書(「保健・体育」)との相違は,前者の「附録」の20頁における「物価統制下の運動用具節約に関する訓令(昭和13年8月2日文部省訓令)」が本書では欠落している点にある。(奥付では,両者の「発行」年は「昭和13年3月18日」である。)(解題執筆:楠戸 一彦)

師範体育教科書

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:体育(教練)

本書は,男女師範学校本科生徒及び専攻科生徒を対象とした生徒用教科書である。執筆者の東京文理科大学の教授である寺沢と,東京高等師範学校の教授である二宮は,昭和11(1936)年の「学校体操教授要目」改定に大きな影響力を持っていた。

本書は,「緒言」で明言されているように,次の4点に重点が置かれた構成となっている。(1)我が国の学校体育の歴史と,これに影響を与えた欧米体育の歴史,(2)学校体操教授要目に基づく小学校体操科の教授の目的,教材,教授案,教授方法,課外活動,体操教授用具など,(3)体育衛生,(4)体育関係法規。

師範学校の体操科に関する生徒用教科書が数多く出版されているが,本書は「我が国の学校体育」と「欧米体育」の歴史を詳述している点に大きな特徴がある。

なお,「学科(教科)区分」の「保健・体育」における『師範体育教科書』(登録番号:0130458339)と本書(「教練」)との相違は,本書の「附録」の20頁における「物価統制下の運動用具節約に関する訓令(昭和13年8月2日文部省訓令)」が加わっている点である。(奥付では,両者とも「発行」年が「昭和13年3月18日」となっている。)(解題執筆:楠戸 一彦)

新制柔道教科書

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:体育(教練)

本書は,中等学校の体操科における柔道の授業に関する生徒用教科書である。著者はいずれも「大日本武徳会 武道専門学校」の教授である。また,磯貝は「柔道範士十段」であり,栗原は「柔道教士八段」である。

本書は全部で11章から構成されている。第一章「総説」(歴史,意義,目的など),第二章「柔道の技」,第三章「投技の基本練習」,第四章「投技の種類」,第五章「投技の連絡変化」,第六章「固技の種類」,第七章「固技の連絡変化」,第八章「固技に這入る法」,第九章「形」,第十章「試合」,第十一章「審判」。これらの内容は,「中学1年生にも容易に理解できる」ように叙述されているが,説明の基準は「中学二三年程度」に置かれている。

昭和11(1936)年の「学校体操教授要目」において,「剣道及柔道」は「中学校及男子の実業学校」「師範学校本科」の男生徒にとって「必修教材」となった。この要目の公布以後,剣道と柔道に関する数多くの生徒用及び教師用「教科書」が刊行された。本書のこうした教科書の一つである。(解題執筆:楠戸 一彦)

師範学校新制体操教科書

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:体育(体育)

本書は師範学校の体操科における生徒用教科書である。編集者である「師範学校体育研究会」の詳細は不明である。

本書は,4篇28章から構成されている。第一篇「総論」では,体育の意義・地位・種類,学校体育と体操科,体操科要旨が論じられている。第二篇「教材論」では,教材の使命と種類,教材選択の基礎,教材の特質と配当,時間外に行う諸運動が取り扱われている。第三篇「各論」では,体操(発達・目的・分類,13の運動),教練,遊戯及競技(目的・分類・教材配当,走・跳・投・各種・球技),唱歌遊戯及び行進遊戯,水泳,スキー,スケート,弓道,薙刀が取り扱われている。第四篇「教授論」では,教授の本領と方法,教授上の諸要点,教授段階,教材の選択と配合,教授案,教授上の注意,要目における教授上の注意が論じられている。最後に,附として「小学校体操科教材配当票」が掲載されている。

本書の初版は昭和8(1933)年に刊行されている。本書は,昭和11(1936)年に告示された「改正学校体操教授要目」に準拠したものであり,『師範学校体操教科書 全』との相違は,第二篇の「教材論」が独立して論じられている点,そして第三篇第三章の「遊戯及競技」が非常に詳細に論じられている点にある。(解題執筆:楠戸 一彦)

文部省要目準拠 小学武道読本 全

時期:国定教科書期(1903~1945) | 教科:体育(教練)

本書は,昭和14(1939)年5月の「小学校武道指導要目」の制定を受けて刊行された剣道と柔道の指導に関する児童用教科書である。当時「文検免許錬士五段 公立小学校校長正八位」であった著者の馬場は,この年の「炎暑」の時に東京高等師範学校において開催された「文部省武道要目伝達の会」での「実地と理論の研究」に基づいて,本書を執筆した。

本書の内容は剣道と柔道に関して全部で10の章から構成されている。第一章「総説」,第二章「第五学年の剣道」(基本動作),第三章「第六学年の剣道」,第四章「高等科の剣道」,第五章「剣道の秘理」,第六章「第五学年の柔道」(単独動作,相対動作),第七章「第六学年の柔道」,第八章「高等科の柔道」,第九章「柔道修業上の心得」,第十章「御製」。

本書は,小学校武道指導要目を契機として数多く出版された教師用・児童用の教科書の中でも,現職の小学校長によって執筆された点に大きな特徴がある。著者は,本書と同年の昭和14(1939)年に明治図書から出版した「要目準拠小学武道講話」と「要目準拠小学武道教授書」の外に,剣道・薙刀・弓道に関する教科書も刊行している。(解題執筆:楠戸 一彦)

The copyright of annotated bibliographies are had by each of the authors.